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* 量子論・相対論11:超流動(1938年:カピッツア)

Q77:英国ラザフォードの下で原子核、強磁場、低温物理などの実験を勢力的に行っていたソ連出身の科学者カピッツアは1934年モスクワに帰省した時、ソ連当局から出国禁止命令を受け、研究はおろかイギリスの家族にも会えない状態になった。当時科学の進展が遅れ、共産党革命による文化的閉塞感のあったソ連で、一度は科学研究をあきらめたカピッツアは3年後の1937年画期的な「超流動現象の発見」を行い、ノーベル賞に輝く。一体何がきっかけで、この大発見が可能になったのだろう?

 ソ連政府はこの勝手な贈りモノの対応に苦慮した。なぜなら、この装置を動かすには、巨大な発電所を必要とした上、その維持費が莫大であったからだ。しかし、ソ連は1935年科学アカデミー物理問題研究所を建て、カピッツア(Pyotr Leonidovich Kapitsa、露、1894~1984年) を所長に指名した。革命後のソ連における科学の重要性を認識してはいたのである(それ故のカピッツア国内留保でもあった)。1937年、研究が立ち上がりカピッツアの活動が軌道に乗ってきた頃、尖がった性格と飛びぬけた頭脳を持つ若者が理論部門に迎え入れられる。超ス―パー天才のランダウ( Lev Davidovich Landau、露、1908~1968年)である。このカピッツアとランダウのコンビにより超流動が発見され、そのメカニズムが理論解明されて行くのである。ただ、両者とも共産党に対し常に批判的態度をとっていたため、その後ソ連政府と多くの摩擦を引き起こすことになる。

 極低温の世界では、ミクロ(微視的)な世界での奇妙な量子現象がマクロ(巨視的)な目に見える現象となって現れる面白さを持っている。超伝導(量子・相対論5話)や超流動はその典型的な現象と言え、今回取り上げる超流動は液体が粘性(摩擦抵抗)を失った状態であり、実世界では信じられないような現象が観測される。たとえば、

①「容器に入れた液体が、容器の壁面をよじ登り、容器の外に勝手に出てしまう」
②「原子1個程度の非常に狭い隙間を液体が自在に通りぬける」
③「回転運動をさせると永久にそれが続く(永久運動)」などであり、

摩擦や抵抗の無い流体の運動がまるでマジックのような不思議さを見せつけるのである。ちょうど電気伝導で抵抗がゼロになった超伝導が示す永久電流に類似したものと言える。

 さて1937年にソ連国内軟禁状態でこの超流動を発見したカピッツアの生い立ちだが、1894年レニングラード近くのクロンシュタットに生まれた。父親は軍事エンジニアで築城技術が専門だった。学校教育は第一次大戦などで中断しながら、ペテルブルグ工業大を1918年に卒業する。1921年には英国ケンブリッジ大に留学し、ここでラザフォードに出会う。カピッツアの天才的な実験技術がラザフォードに好印象を与え、お互いに馬が合ったことからその後12年間に渡り、ケンブリッジで研究を続けることになった。最初はラザフォードの専門分野であった原子核実験を始め、次に強磁気の宇宙線への影響の研究を経て、最終的に極低温技術の実験へと進んでいった。ラザフォードはこの低温物理の研究を強く支持し、彼のために英国王立協会を動かしてモンド基金を得てモンド研究所を設立し、カピッツアに初代所長を託した(1930年)のである。1934年、彼は断熱手法を用いて液体Heを量産できる優れた低温化装置を開発し、世界の低温技術のトップに立つ。そして休暇を得てソ連に一時帰国をした時、国内蟄居の災難に遭遇したのである。

 ラザフォードの機転により、カピッツアの装置はソ連に無事送られた。これは現在なら完全にワッセナー・アレンジメント(旧ココム協定)に抵触する措置だが、当時は可能であった。この装置で、カピッツアは低温実験が可能となり、そのテーマを復活させ、液体Heの更なる低温化を進めたのである。そしてついに、絶対零度に近い、T=2.17K(-271℃;λ点と呼ばれる)以下の世界に入り込んだ時、He4原子が極めて奇妙な振る舞いをし始めたのだ。液体He4の粘性がゼロに近づき「超流動現象」を示したのである。「超伝導」は多くの物質で生じる現象であるが、「超流動」はHe原子でしか観測されない現象である。しかもHe原子は同位体としてHe3とHe4を持つが、その両者で超流動の現れ方が異なる。これはHe4原子が協調性を持つ「ボーズ統計」(量子・相対論6話参)に従う粒子として振舞うのに対し、He3同位体は原子同士が排他的性質の「フェルミ統計」に従う振る舞いとなるためであり、He3で超流動が観察されるのは1972年になり0.003K(-273.147℃)クラスの極低温技術が実現できるまで待つ必要があった(米;オシェロフ、リー、リチャードソンによる)。今回のカピッツアの発見はHe4での発見であった。

 超流動現象は、翌年1938年にロンドン(Fritz Wolfgang London、独⇒米、1900~1954年)によって、液体He原子にボーズ=アインシュタイン凝縮(低温で、3次元のボーズ粒子集団がエネルギー最小の状態に集中・凝縮し、共同的振る舞いを示す現象。アインシュタインにより1924年に理論予測された。)が生じたためではないか?と指摘された。そして、カピッツアの共同研究者であるランダウは流体力学の方程式を量子化するという独創的な手法により、超流動現象を説明することに成功する(1941)。ところでランダウのこの画期的な研究も、共産党を批判したため、あらぬスパイ容疑で投獄され1938年から1年間中断の憂き目に合っている。この時、ランダウの釈放にカピッツアは学者生命を掛けて政府との交渉を続け、ようやく1939年に釈放されて研究に復帰できたのである。宗教や政治が科学の進化にマイナスの影響をした1つの例と言えるだろう。

宿題77:カピッツアとランダウは、釈放後ソ連政府から、軍事技術に関わる研究を強要させられた。その時彼らの採った行為はどのようなものであったか?

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