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* 量子論・相対論5:超伝導(1911年:オンネス)

Q66: マイナス10℃を作れと言われたら、氷水に塩を入れかき混ぜればよい(凝固点降下)。ではマイナス100度を作れと言われたらどうすればよいか?

 ドライアイスは炭酸ガス(CO2)を-79℃以下の温度で凝固(固体化)させたものであり、アイスクリーム等の保冷材として、スーパーで手に入れることができる。作り方は、気体の炭酸ガスを130気圧ほどの高圧に常温で圧縮し、まず液化させる。その後急速に大気圧に減圧させることで温度を下げ、粉末状の凝固体を作り、それに多少の水を含ませブロック状に固めて出来上がり。ところで、温度はどこまで下げることができるのだろう?極低温技術に挑戦した人たちが、1870~1920年にかけて、その技術を競ったのである。

 1873年、低温の科学にとって、その技術の羅針盤となる法則が発見された。「ファン・デル・ワールスの状態方程式」である(熱・化学21話)。これは気体のみならず、液体や固体にも適用でき、物質の状態を「体積V」「温度T」「圧力P」で示す式であった。この指針を基に、圧力を制御しながらジュール=トムソン効果(熱・化学16話)を活用する事が、低温技術の基本である。1877年、仏のカイユテ(Louis Paul Cailletet、仏、1832~1913年)はアセチレンガスを60気圧の高圧下で液化させる実験中、加圧器の故障で急激な減圧をさせてしまう、この時温度が急降下しガラス管が曇り、アセチレンは思いもよらず常圧で低温液化してしまった。この偶然発見した方法を利用し、当時困難と言われていた酸素の液化をも実現させたのである(-183℃の実現)。

 酸素の液化に成功したと言っても、まだ液滴が少々現れたに過ぎなかった。これを多量作製したのが、ポーランドのウロブルスキー(Zygmunt Florenty von Wroblewski、ポーランド、1848~1888年)とオルセウスキー(Karol Stanislav Olszewski、ポーランド、1846~1915年)である。パリでカイユテの実験を見て次のような方法を思いつく、まずエチレンガスを塩氷水(-10℃)、そして減圧ドライアイス(-110℃)で順次冷やし液化させ、この液化エチレンをさらに減圧させる事で-152℃にする。次に圧縮した酸素ガスをこのエチレンガスで冷やすことで、多量液化に成功(1883年)する。彼らはさらにこの酸素を減圧にして-200℃を達成、これを使って窒素と一酸化炭素の液化にも成功する。しかし水素の液化は、まだ歯が立たなかった。成功させたのはデュアー瓶(魔法瓶)の発明で有名な英のデュアー(James Dewar、英、1842~1923年)。25気圧に圧縮した水素ガスを液体空気(-190℃)で冷やし、減圧させることで1898年-253℃の液体水素を得る。さらに翌年もう6度下げることで固体水素も得られた。

 ところで低温には絶対零度(-273.15℃= 0ケルビンK)と呼ばれ、それ以下には下げられない限界温度がある。デュアーの作った固体水素は絶対温度で言うと、14Kであり、そろそろ限界に近かった。しかしそれでもまだ液化できないガスが一つ残っていた、ヘリウム(He)ガスである。ファン・デル・ワールスの式から、Heの液化温度は約5Kと推定され、多くの科学者がこの「最後の液化」にチャレンジしていた。蘭のオンネス(Heike Kamerlingh Onnes、和蘭、1853~1926年)もその一人である。オンネスはレンガ工場を経営する父の下、3兄弟の一人として生まれ、17歳で地元の大学に入り、さらに独のハイデルベルク大に留学、ブンゼン(Robert Wilhelm Bunsen、独、1811~1899年)やキルヒホッフ(Gustav Robert Kirchhoff、独、1824~1887年)から科学を学ぶ。23歳で博士号(地球自転の証明)を取り、デルフト工大の助手となるが、この時期に同じオランダ出身のファン・デル・ワールスと出会っている。この出会いがきっかけで、低温の科学の世界に入って行ったのである。

 28歳でライデン大の教授に就任、同大に酸素、窒素、空気の液化装置を12年がかりで完成させるが、1894年時点ではまだまだ低温化競争からは遅れていた。又、学内から設備の危険性などの批判もでて実験がしばしば中断。しかしデュアーやファン・デル・ワールスのサポートもあり12年後の1906年、ついに世界トップレベルの水素液化装置を完成させる。さて準備は整った。先人の成果を参考にしながら工夫を加え、3重構造のデュアー瓶と液体水素(20K)を用い、Heをさらにジュール=トムソン効果で低温化、ついに4.2K(-269℃)を達成、液体Heを得ることに成功した(1908年)。ここでついに世界トップに立ったのである。

 オンネスは、この大学低温設備を世界に開放し、ライデン大は低温科学のメッカになる。有能な人材が世界中から集まり、技術教育も積極的に進めたため、オランダの低音技術レベルは飛躍的に向上した。欧州の産業をこの小国がリードする礎を作ったのである。ところでオンネスは世界1の低温技術だけでは終わらなかった。当時、「極低温で電気抵抗がゼロになるかもしくは無限大になり電流が流れなくなるか?」というテーマが理論的に議論されていた。彼はこれを確かめるべく水銀Hgを極低温に冷やし電気抵抗を測定したのである。Hgの温度が4.2Kに達した時、突然電気抵抗がゼロを示した。電極をショートさせてしまった!と考えたが、いくら注意深く実験を繰り返してもやはり同じようになる。これこそがまさに、「超伝導現象」の発見であった(1911年)。「極低温で物質の電気抵抗がゼロになり、永久電流が流れ続ける」というこの異常な現象のメカニズムはなかなか解明されなかった。そして、ようやく46年後の1957年に、トランジスタの発明者一人バーディーンのチームにより解明されることになる(BCS理論)。(オンネスの発見、バーディーン達の理論解明、共にノーベル賞受賞)現在、リニア新幹線の基本技術に使われている。

宿題66:オンネスは液体Heを作った後、さらに低温化を進め、固体Heの実現を目指した。ところが固体になるはずの0.82K(-272.3℃)まで下げても個体にならない、これは実験の失敗だろうか?それとも、又もやとんでもない発見が隠れていたのだろうか?

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