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・ 永久機関は作れない(第一種:エネルギー保存則 第2種:エントロピー増大則) ⇒永久機関に関する発明は特許化できない(道具・力学10話、熱・化学19話) ・ 熱機関の効率はカルノー限界を超えられない⇒カルノーサイクル(熱・化学11話) ・ 光速は越えられない⇒特殊相対性理論(量子・相対論3話) ・ 運動量と位置は同時に正確に決められ(計測)できない。(不確定性原理)⇒量子論(本章) ・ 不完全性定理(数学):証明も反証もできない命題が存在する⇒数学論理の危機?(電子・IT4話)それぞれの否定法則は、人々に衝撃を与え新たな展開をしている。その意味で人類にとり貴重な認識であり 知的財産と言える。又、否定の証明は簡単ではないことを付け加えておきたい。
上記の例の一つ「不確定性原理」に今回注目しよう。1920年代は量子論の生みの苦しみの時代であり、デンマークのボーアが中心的役割を果たした。そのボーア学派の一人、ハイゼンベルク(Werner Karl Heisenberg、独、1901~1976年)が今回の主人公である。まずその生い立ちから述べよう。ハイゼンベルクは1901年ギリシャ語学者の父のもとドイツに生まれる。幼少より数学の才能を示す神童であり、スポーツと音楽(ピアニストを目指したこともある)にも優れていた。ミュンヘンの大学でゾンマーフェルトらに理論物理を学び、22歳で博士論文(乱流における安定性の理論)を提出、3年間で全ての教育を終えた。その後全ての物理領域に長けたボルンの下で2年間助手をしながら量子論に関わる、1924年からコペンハーゲンのボーアの下に半年留学して最新量子論の洗礼を浴びるが、帰国後病気にかかり療養休暇を取る。この休暇中に作り上げたのが「行列力学による量子論」(1925年)24歳の天才を世に示した歴史的論文であった(シュレディンガーの波動方程式より1年先;量子・相対論7話参)。
さてこの行列力学というのが又難しいのだが、概略を簡単に言うと、ニュートン力学を数学的に抽象化したハミルトンの解析力学の手法を用い、「粒子的振る舞い」を行列を用いて記述した数学理論である。なお、シュレディンガーは同じ様な手法を用いて、「波動的振る舞い」を微分方程式で記述した所が差である(量子・相対論7話参)。さて、ハイゼンベルクの新しい考え方として、「観測にかかる量」例えば位置q、運動量p、エネルギーHなどが単なる「数」ではなく「行列で表現された演算子」として方程式に取り入れられ、これら観測可能な量同士の関係として数学的(線形代数的)に表現されている。ハイゼンベルクは「観測できる量のみ」で自然界を記述する事にこだわっていたのである。ここで観測量を表す行列の交換関係が、従来の古典論では交換可能だったのに、彼の理論では「非可換性」が入っていた。それは、行列の順序を変えると結果が変わる事、つまり自然現象の観測順序を変えるとその結果に影響を与える事を意味しており、その意味はまだ充分理解できていなかった。分かりやすく言うと、ある人の年齢と名前を聞いた場合、まず名前を聞きその後に年齢を聞いた場合と、その逆の順序で聞いた場合で答えが異なるという不思議な話であった。
ボーアは、ハイゼンベルクとシュレディンガーの両理論が、それぞれ粒子像と波動像の視点の差にも関わらず、ボーアの量子制限条件無しに、共に水素原子の振る舞いを正しく説明することに、強い驚きと興味を持った。この両者を比較分析することで、真の量子の世界を理解できると考え、シュレディンガーとハイゼンベルクを呼び、3者間で得意のボーア問答をクタクタになるまで続けたのである。ハイゼンベルクはボーア同様にシュレディンガーの波動理論に強い興味を引かれたが、そこにある「波動性」とは数学的な抽象概念であり、決して実在する波動だとは思えなかった。そして「観測可能な量で理論を構成すべき」という彼の哲学とずれていたため、この年配者の理論(当時、ハイゼンベルク25歳、シュレディンガー39歳、ボーア41歳であった)を完全には受けられなかった。シュレディンガーが議論にくたびれて入院し早々に退散した後も、ボーアとハイゼンベルクの討論は半年間続いた。それはさすがに楽天的でタフな天才同士と言えども忍耐の限界を超えていたのである。いいかげん量子の問題を議論することににうんざりした2人は、休暇を取ることにした。ボーアはスキーに、ハイゼンベルクはボーアの居ない生活にそれぞれ逃げて行った。
すぐれた創造は集中の後の解放の時に魔法(天からの啓示)のように成されることが多い。2人は休暇中にそれぞれある啓示を受けて再会した。とりわけハイゼンベルクは朋友パウリ(Wolfgang Ernst Pauli、墺⇒スイス、1900~1958年)との交友の中で画期的な考えに到達していた。彼は自身の行列力学において、行列をかける順序と観測の順序の関係に注目した。位置qを測定した後運動量pを測定する時と、その逆の順序で測定する場合の思考実験を想定し、徹底的に比較したのである。そして行列演算の性質から、量子的な観測の場合、それぞれの観測誤差をある小ささ以下にはできないという制限原理を発見する。つまり、
⊿q×⊿p≧h/4π…①、(h:プランク定数=6.6×10-34Js)
という「不確定性関係」が生じることを発見したのである。
ニュートン的世界観(古典力学)では粒子の位置qと運動量pはそれぞれ精度よく正確に決定できるのに対し、量子の世界ではその位置と運動量は「同時には正確には決められず」、プランク定数程度の誤差を必ず伴ってしまうという、限界原理であった。そしてそれが演算子の非可換性に対応している事を認識したのである(1927年)。ボーアもこの考え方に近いアイディアをやはり得ていた。そしてこの「ハイゼンベルクの不確定性」を考慮に入れ、量子の持つ粒子性と波動性の2つの側面は対立概念ではなくお互いを補い合う「相補的」概念とみなし、「量子は両面性を持つ」と考えたのである。ようやくここに、人類は神の与えた難問を解決する手がかりを得たことになった。
⊿q×⊿p+δq×⊿p+δp×⊿q≧h/4π…②ハイゼンベルクの①式に比べ2項ほど増えたが、その意味は⊿は観測誤差、δは観測とは無関係に実在する量子ゆらぎである。つまり「⊿q×⊿pを無限小(つまりゼロ)にする観測も可能である」という①式を超越する衝撃的内容を持っている。これは、誤差ゼロの観測も可能であり、その時不確定性分は「観測とは関係ない実在する揺らぎ」が担うという事を明らかにしたのだ。この事実をボーアとハイゼンベルクは天国からどう「観測」しただろうか?アインシュタインは胸をなでおろしたかもしれない。
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