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* 量子論・相対論12:メーザー、レーザ(1951年:タウンズ)

Q83: レーザ光線は光の一種だが、そもそも光はどうやって生み出されるものだろう?光を出す方法を3つ以上あげよ。

レーザ(光)の発明者はいるが、光の発明者はいない。光は太古の昔から自然界で見られていたので、あえて発明しなくても、そこにあったためだ。ではレーザ光線と普通の光はどこが違うのだろう?結論から言うと、レーザ光は「波長と位相のそろった光」であり、普通の光は「波長と位相がばらばらな光」なのである。尚、光とは目に見える電波のことであり、その波長が0.7~0.4μm(ミクロン)の範囲にあるものを言う。電波の波長は人には「色」の違いとして感じることができ(第82話参)、赤(0.62μm)、黄(0.57μm)、緑(0.52μm)、青(0.46μm)と( )内の波長が小さくなると、赤から青に色が変わってゆく(虹の色)。又、太陽光、電球や蛍光灯の光など白色系の光は、様々な波長の光が混ざった混合波長光であり、位相もばらばらな電波であると言える。

 白色光から特定の波長(色)を選択して取り出すことは難しくない。例えば色セロファンのような色フィルターを透過させたり、プリズムを用いた屈折によって波長選択が可能になる。ではこの選択で波長も位相も揃ったレーザ光線になるのだろうか?残念ながら波長は多少揃うものの、位相はバラバラのままであり、レーザ光とは呼べない。レーザ光はそもそも生まれ育ちが違うのである。そしてその方法を発明したのが、米のタウンズ(Charles Hard Townes、米、1915~2015年)らであった。彼らは、アインシュタインの見出していた「誘導放出」(通常の光放出は「自然放出」)の実現方法として、電子を上位準位に多く持ち上げる「反転分布」の技術と、放出された誘導放出光の増幅機能を旨く生かした「ミラー型光共振器」によるフィードバックの技術を組み合わせることで、波長と位相がそろった強い強度と指向性のレーザ光を生みだす事に成功したのである。ここで注目すべきことは「反転分布」の技術も「光共振器」の技術も単独ではそれぞれ既に発明されていたことだ。彼らはこれらを初めて「組み合わせる」事を思いつき、メーザやレーザの電磁波を取り出せるようにした。

 タウンズは、1915年米国サウスカロライナ州に4人兄弟の次男として生まれた。父は広い農園を持つ弁護士だった(本当は科学者になりたかったようだ)。広い農園の中で育ったおかげで科学と機械(農機具)に興味を持つ。子供のころ父や母から勉強を教わり、そばに住む叔父(工科大の教授)の影響も受けた。地元のファーマン大を19歳で卒業、物理と現代語を修める。翌年デューク大で修士号を、24歳でカルテックを卒業し物理(同位体分離)の博士号を取得。卒業後ベル研に入るが、太平洋戦争が始まりレーダー関係の軍事技術(マイクロ波)の開発を行った。これがきっかけになりマイクロ波分光に強い興味を持つ。1948年、原子や分子と電磁波の相互作用の研究をする為コロンビア大に移り、1951年、マイクロ波の誘導放出による増幅装置を発明、「メーザ」(microwave amplification by stimulated emission of radiationの頭文字、MASER)と名付ける。さらに彼はマイクロ波領域から、光の領域へのメーザの展開(短波長化)を目指した。1958年同僚のショーロー(Arthur Leonard Schawlow、米、1921~1999年)と共に光メーザ、つまりレーザの実現可能性を示す理論を発表。1961年MITの学長に就任、1964年、バソフ(Николай Геннадиевич Басов、露、1922~2001年)、プロホロフ(Aleksandr Mikhailovich Prokhorov、露、1916~2002年)と共にノーベル物理学賞受賞、と輝かしい経歴を持っている。

 タウンズはメーザやレーザ発明の苦労話しを自伝で紹介している。そもそもの動機は、「超高周波(マイクロ波)の発振器」を作りたい、そして「宇宙を電波(マイクロ波)で観測したい」という夢であった、それは軍でマイクロ波・レーダー開発を嫌々やらされた事がきっかけになっている(嫌なテーマもやってみると糧になる)。当時のマイクロ波発振器はイギリス発のマグネトロン真空管だったが、効率はよくなかった。そこで全く新しい発振原理として、マイクロ波分光(アンモニア分子によるマイクロ波の吸収)の手法を逆に使って発振させることを思い付く。これは、宇宙にマイクロ波を出す天体が見つかっており、そこに発振メカニズムが隠されているはずだ、と直感したからだ。

ここで、分子のエネルギー状態を高めれば低エネルギー状態に落ちるときアインシュタインの言う「誘導放出」を起こす事ができるのではないかと想像したのである。そしてコロンビア大に移り研究を行う。コロンビア大では多くのノーベル賞受賞者がいて、優秀な院生にもめぐまれ、闊達な議論と協力が得られた。ある日、早起きをした時ヒントを得る、「ボツルマン分布法則」にとらわれていた限界を、「反転分布」という手法で突破するアイディアである。しかしそれは20年も前に同じ提案があることを後で知る。もう一つは、マイクロ波導波路と組み合わせること、この両者の融合は誰も考えていなかった、これでメーザが発明されたが「新しい概念など何もなかった」と謙遜している。レーザの時は、義弟のショーローが出した「導波路の代わりにファブリ=ペロ光学干渉計を使えば良い」という提案に乗った。この「既にあった技術の組み合わせ」が世紀の発明になったのである。他人が思いつかない「組み合わせ」は重要な発明になるという例である。

宿題83:タウンズがメーザの特性を量子論の天才ボーアに話したとき、彼は「そんな事は有り得ない」と反論した。それはある量子力学の原理にボーアが捉われていたからだが、その原理とはいったい何だったか?

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