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* 電気・磁気4:光の波動性(1801年:ヤング)

Q29:イギリスの若き医者ヤングは、目の病気(乱視と目のレンズの関係)の研究をきっかけに光に強い関心を持つ。当時、光とは何か?という疑問に対し、ニュートンの「粒子説」とホイヘンスの「波動説」が争っていたが、ヤングは非主流である「波動説」を支持した。光の反射や屈折の現象を見て確信したというその理由はいったい何だろう?

 この答えは、私の推測である。ヤング(Thomas Young、英、1773~1829年)の目のレンズ研究や当時の粒子説の難点を考慮すると、おそらくこのように考えたのではないかと思われる。しかし、その当時、ニュートンの名前はあまりに偉大で、彼が唱える粒子説に間違いは無いと信じられていた。ただ、透明物質表面で同時に生じる反射と屈折現象を粒子説で説明することはきわめて困難であった。ニュートンもこの点で苦しみ、次のような詭弁的説明をしている、「この世界を普遍的に包み込むエーテルが存在していると考えよう。物質表面に飛んできた光粒子は、表面付近のエーテルを刺激し周期的な圧縮と減圧を生じさせる。圧縮時に到達した光粒子は反射し、減圧時に到達した光は物質内部に進行し屈折する。」なんとも自説に都合のよいモデルではないか?しかも将来的に否定される「エーテル仮説」を用いている。自然界の真理はもっとシンプルで美しいはずである。

 ホイヘンス(Christiaan Huygens 、和蘭、1629~1695年)はヤングより150年ほど前に活躍したニュートンと同世代の科学者で、光の波動性を早くから主張していた。彼は数学と実験が得意なデカルト的機械論者であり、レンズ磨きの得意な兄と協力し望遠鏡を改良して土星の輪を発見したり、振り子の等時性を数学的に証明し振り子時計を完成させるなど、発明のセンスも高かった。有名な「ホイヘンスの原理」(1678年)は、「ある点に波が伝わると、それらを起点にして2次的な球面波が生じ、その包絡面が次の実際の波になる」というもの。これで光の反射と屈折を見事に(シンプルに美しく)説明できた。しかしこのモデルにも欠点があり、前進する波と同時に後進する波(実際には現れないが)も現れてしまうため、批判を浴びることになる。この批判は後にヤングと同世代の天才フレネル(Augustin Jean Fresnel、仏、1788~1827年)によって、干渉による重ね合わせ効果を取り入れ数学的に見事に解消されたのである。

 ところで、ホイヘンスもヤングも光を音のような「縦波」と考える誤りを犯した。しかしこの誤ったモデルから、ヤングの歴史的な光の干渉作用の発見がなされる。ヤングは周波数の少し異なる音を同時に鳴らすと、その周波数差の「うなり」が生じることに注目した。そしてもし光も波なら、そのような波の持つ「うなり=干渉」が生じるに違いないと考えたのである。彼は太陽の光を窓の板戸(雨戸)に空けた小さな穴を通し、部屋の中に導き壁に投影させてみた。そしてその光の途中に光の幅より狭い1mm幅の紙片を置いて遮り、壁に投影される「影」を詳しく観察したところ、影の境界付近に虹色の縞模様を、さらに影の中央部分に白黒の縞模様を見つけたのである(実に細やかで精密な観測である!)。これこそ光の「うなり」であり波動性の証拠に違いないと確信したヤングは、さらに次の実験を行う(これが後に「ヤングの実験」と呼ばれる有名な実験である)。彼は1mm幅の紙片で遮る代わりに「2個のピンホールを持つ紙片」で光を遮ってみた、すると、明瞭な干渉縞が壁に現れたのだ。そしてこの事実は、いかなる粒子論者も否定する事はできないと自分の実験結果に自信を持った。しかし、物事はそう簡単には運ばなかった(下の宿題29へ)。

 ところで、トーマス・ヤングは1773年イギリスに実業家の次男として生まれ、幼少からその天才性を発揮した。とりわけ語学に強く4歳で聖書を読みこなし、13歳でラテン語を含め4ヶ国語をマスター、14歳でさらに7ヶ国語を操る神童だったといわれる。このような語学センスは後年、趣味の象形文字の解読に生かされた。又、自然科学にも強く引かれ、19歳で医学教育を受けながら、ニュートンの「プリンキピア」や「光学」、ラボアジェの「化学要論」などを読破した。そして若干28歳で英国王立協会の教授になる、まさに「万能の天才」であった。ヤングは光の波動性の他、力学的エネルギーの概念と質量速度2乗積(mv^2)の提案、弾性に関する「ヤング率」の導入、「色覚の3原色(赤、緑、青)説」の提案、「血液循環の理論」など、科学の進展にきわめて重要な発見をした上、象形文字の解読によりエジプト研究を行うなど、医学、物理学、考古学にわたりその天才性を発揮した。面白いのは自ら一つの「専門家」になることを極端に嫌っていたということ。広い分野で自分の能力を生かすことを自由闊達に楽しんだのである。またその多彩な能力が与えられていた。

宿題29:ヤングの干渉実験により決着が付いたと思われた「光の波動性」だが、そうはうまく進まなかった。粒子論者が指摘した波動論の問題点はいったい何だったか?

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