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* 道具・力学11:地動説(1543年:コペルニクス)

Q11: コペルニクスはなぜ、それまで1400年間も信じられていた天動説(地球中心説)を否定し、地動説(太陽中心説)取り上げたのか、その理由は?

 コペルニクス(Nicolaus Copernicus、ポーランド、1473~1543年)の地動説はそれまでの「宇宙の中心は地球だ」という自己中心的考えかた(天動説)から視点を大きく転回させ、地球は決して天体の中心では無く、太陽を中心に回転する天体の一つに過ぎない、という事実に目覚めさせた。これは人類の存在意識に対し大きな精神的衝撃を与えたと言われている。又このような大きな視点転回のことを「コペルニクス的転回」と呼ばれている(哲学者カントによる)。実際、当時天動説を教義の指針としていたキリスト教会から多大な圧力(宗教裁判による死刑)を受ける恐怖があったため、最初はこの説を簡単なメモとして無記名で発表せざるを得なかった。それほど当時の教会の権力は大きく、知的発想を制限していたのである。

 コペルニクスは、1473年にポーランドで生まれた。民族的にはドイツ系だったといわれ、現在でもこの英雄をポーランドとドイツで奪い合っている。比較的裕福な家庭だったが10歳の時父親が亡くなり、母親も既に亡くなっていたため、叔父のもとで育てられた。叔父は司祭だったため、コペルニクスにも司祭に成ってもらいたかったらしい。実際兄は司祭、妹は修道女になる。1491年から5年間母国のクラコフ大学で天文学や化学を、さらに4年間イタリアのボローニャ大学で教会法を学んだ。このイタリア留学中、天文学者であるドメーニコ・マリーア・ノヴァーラに出会い影響を受け、天体観測を行うようになる。この観測が後の地動説の検証に使われることになった。その後コペルニクスは、5年間ほどバドバで医学を修め、結局は医者になり、生前は天文学者というより医者として高名であった。

 ところで地動説はコペルニクスの発案では無い、と言ったら驚くだろう。実はコペルニクスから遡ること約1700年、古代ギリシア時代の天文学者アリスタルコス(Aristarchus、ギリシア、紀元前310~紀元前230年頃)は月の影と太陽と地球の位置関係を考察することで、既に地動説を提唱している。さらにその先人ヘラクライデス(Heraclides Ponticus 、ギリシア、紀元前387~紀元前312年)は水星・金星・地球が太陽の周りを回っていて、さらに地球は一日一回自転しているというモデルを考えていた。コペルニクスはこれらの説からひらめきを得て、天体の運行を計算し、こちらの方がより合理的な考えである事を証明。1年の長さが365.2425日であることを算出したのである。それではなぜ、ギリシア時代に生まれた斬新な地動説がコペルニクスの時代まで埋もれてしまったのであろうか?

 天動説(120年:プトレマイオス提唱)は考えてみれば、実に素直なモデルである。夜星の星を眺めていると、形を変えない多くの恒星が時間とともに我々の地球の周りを回転している。さらに太陽や月も毎日規則正しく回転している。一方我々の大地が動いているという感触は無いため、天体が地球(大地)を中心に回転していると考えるのはとても素直である。これだけの観察から地動説など出て来ようが無い。ところが天空には「惑星」と呼ばれ、素直な回転運動をしない星が5~6個(多くの星の中のたった数個)見られる。その不規則な動きから惑う星と呼ばれた「惑星」は、それぞれ水星、金星、火星、木星、土星と名付けられた。これらひときわ明るく輝く惑星の動きの説明が天動説には難題だったのである。しかしローマ時代の天文学者プトレマイオス(Claudius Ptolemaeus, ローマ、83~168年頃)は、惑星が地球を中心とする回転に加えさらに遊園地のコーヒーカップのような固有回転をしているという「複合回転」のモデルよって惑星の動きが計算できることを発見する。これが天動説を支持する根拠になったのである。そして当時望遠鏡も無く実証することが難しかった「原始地動説」は消えてしまったのだ。

 ところが1400年も信じられ、教会にも支持された天動説は、コペルニクスによる地動説の「再発見」によって危機を迎えることになる。コペルニクスの計算はプトレマイオスの複合回転モデルよりはるかにシンプルで精度も高かった。これにより説得力の増した地動説は一部の専門家に高く評価された。しかしそれでもコペルニクスは自分の名前で考えを発表することを拒否しつづけた。弟子の強い勧めでようやくコペルニクスが自著「天体の回転について」を出版したのは、なんと死の数週間前のことであった。そして出版から60年ほどの時間を経てようやくケプラーやガリレオによって地動説が実証され、天動説は終焉を迎えるのである。

宿題11:コペルニクスは地動説に基づく計算の中で、実際の惑星の動きが彼の計算と少し合わない事に悩んでいた。これは後にケプラーによって解決されるのだが、実はコペルニクスの地動説のモデルは一箇所間違っていた。ガリレオも間違えたそのミスとは何だったか?

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