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* 熱・化学20:周期律の発見(1869年:メンデレエフ)

Q46: M君は元素の周期表を学校で習ったのだが、なぜ18周期で描かれているのか理解できなかった。18という数字に何か特別な意味があるのだろうか?

 原子の構成は玉ねぎのように、中心に核(原子核)がありその周りを電子の座席になる多くの殻で包まれている。殻には名前が付いていて内側からK殻(2)、L殻(8)、M殻(18)、N殻(32)、O殻(32)、P殻、Q殻、‥と呼ばれていて、(数字)はその殻中に入れる電子の座席数となる。電子は原則この殻の内側から順番に入るのだが、実際には少しズレが生じる。まずK殻の2座席、L殻の8座席に順次電子が入り、これらが周期表の第1周期の2元素、第2周期の8元素にそれぞれ対応する。次はM殻の18座席を満たすことが期待されるが、なんと第3周期は8座席で終わり、第4周期以降が全て18周期となる、これはいったい何故だろう?

 答えは、「各殻の座席に対する電子の着席順序が、3周期目のAr元素以降ずれるため」である。着席順序は電子にとってエネルギーの低い状態からになるのだが、実は「殻の座席位置」だけでは決まらず「電子の座り方(=軌道形状)」(正座するかあぐらをかくか)が影響するのである。そして軌道形状に関するエネルギーの低い序列はs(2)、p(6)、d(10)、f(14)‥軌道という順序となる。ここでs,p,d,f軌道というのは座り方のニックネームであり(数字)は各軌道をとれる電子数を示している。つまり「各殻の座席位置と軌道(座り方)数の2種類が絡み合い、電子の座る順番が決まる」と言うややこしい事になる。しかし、人も映画館の座席に前から順序良く座らないではないか、電子にも座席に(エネルギー的な)好き嫌いがあるのだ、と考えれば理解はできる(かな?)。

 そこで結論だが(早い!)、各殻(=座席位置)に入る軌道(=座り方)は決まっており、K殻(s)、L殻(s、p)、M殻(s、p、d)、N殻(s、p、d、f)、O殻(s、p、d、f)…となっている。この可能性の中でエネルギーの低い順序で電子がつまってゆくのだが、まずK殻のs軌道に2個が、次にL殻のs軌道2個とp軌道6個に順序よく入る。つまり各殻の座席数とは座り方を含めての数という事になる。さらに次のM殻はs軌道2個とp軌道6個で計8個がつまると、なんとd軌道はエネルギーが高いためスキップされM殻は一旦終了する。これが第3周期が8元素で終わる理由である。さて次の電子はM殻d軌道よりエネルギーが低いN殻s軌道にまず2個が入り、その後M殻d軌道に戻って10個入った後、N殻p軌道の6座席を満たす、これが第4周期の18元素となる。これ以降は同様な流れでの座席の占め方となり18周期が続くことになるのである。これが上記クイズの「18」の意味である。この複雑なメカニズムが分かったのは20世紀に量子力学ができてからであり、メンデレエフ(Дмитрий Иванович Менделеев、露、1834~1907年)はもちろんそんな事を知らずに周期表を発見した。理由は分からないが各元素の持つ性質から経験的に見つけられた周期だったのである。

 メンデレエフは1834年シベリア(露)に中学校長の父とガラス工場経営者の母の間に14番目の末っ子として生まれた。当時のシベリアは政治犯(知能レベルが高い人が多かった)の流刑地であり、自由主義者の父母がこれらインテリ層を家庭教師として招き、優秀な末っ子を教育したのである。しかし14歳で父を亡くし、母とサンクトペテルブルグに移って大学に入学するが、母親はその後死去、自身も大学卒業後結核を煩う。しばらく養生しペテルブルグ大の私講師となった。その後能力が認められ、25歳でパリとドイツに留学、化学者ブンゼン(Robert Wilhelm Bunsen、独、1811~1899年:ガスバーナーで有名だが、本当はファラデーによる発明、ブンゼンはそれの改良をした)らに学びヨーロッパの新しい化学を吸収した。当時の主要テーマは「果たして元素はいくつあるのか?」「又、それらは周期的な表で分類できるか?」ということであり、彼もこの課題に飛びついたのである。

 当時、既に元素は60種類ほど発見されており、元素を軽い順番に並べると、似たような性質が周期的に現れることに強い関心が持たれていた。そして1860年頃、何種類かの周期表が提案され始める。1862年、仏のド・シャンクルトワ(Alexandre-Émile Béguyer de Chancourtois、仏、1820~1886年)は元素を円筒状の紙に並べた「地のらせん」を提案、この方法では縦方向に似た性質の元素が並んだ。1864年、英のニューランズ(John Alexander Reina Newlands、英、1838~1898年)は原子量順に元素を並べ、8周期で似た性質の元素が現れることを示し、音楽の音階になぞらえ「オクターブの法則」と呼んだ。同年独のマイヤー(Julius Robert von Mayer、独、1814~1878年)も既知の49元素を原子の体積順に並べた16列の周期表を発表した。しかしそれぞれの案も全ての元素をうまく説明できない課題が残り、興味を持たれつつも確立できない状況であった。

 1869年メンデレエフは当時西欧に遅れをとっていたロシアの化学を進展させるため、化学の教科書を執筆しながら元素の説明に苦慮していた。彼は69種の既知元素を、好きなカードゲームにならって、各カードに原子量や性質を記録し、並び替えを繰り返していたのである。そんな折、友人から葉書を受け取る。そこには「3つ組元素をどう思うか?」と書かれていた。「3つ組元素」とは、独のデーベライナー(Johann Wolfgang Döbereiner、独、1780~1849年)が気づいた「フッ素、塩素、臭素」「リチウム、ナトリウム、カリウム」などの似た性質を持つ3元素仲間の事である。この示唆からヒントをもらい、これら3つ組元素が縦方向に並ぶようにカードを並び変えてみるが、しかしどうしても空欄が現れてしまう。ここで彼はひらめいた!「空欄はまだ発見されていない元素ではないか!」と。早速、彼は1869年ロシア化学会で、彼の「空欄付き周期表」を発表した。しかし残念ながら科学後進国ロシアからの発表は誰からも注目を集めなかった。ただその後、空欄元素が次々に発見されるに至って、彼の空欄周期表の信憑性が少しづつ確信されて行くことになる。後にノーベル賞候補にもなったが残念ながらロシアへの差別(?)もあり受賞は逃す。これほどの成果なのに残念な事だ。

宿題46: 今見つかっている元素の種類は118個程度だと学校で習ったM君は、まだ見つかっていない元素を自分で発見してやろうと考えた。さてどうすべきか?

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