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* 量子論・相対論4:原子模型(1911年:ラザフォード、ボーア)

Q65: それ以上細かく分解できない、万物の基が「原子」であった(第30話)。ところが、その原子から「電子」が飛び出して来たではないか(第57話)。さて、これだけの情報から「原子の中身」を想像した人たちがいる。どのような構成(モデル)が現れただろう?

今から100年ほど前の、人類の原子の理解はこのようなものであった。実に幼稚ではないか!しかし、当時の大天才でもこの程度(失礼)なのである。見えない程小さいものの中身を想像せよ、といってもどうしてよいのか分からない。せいぜい野菜のスイカや太陽系からの類推をするのが関の山だったのだろう。そこに現れたのがラザフォード(Ernest Rutherford、ニュージーランド、1871~1937年)である。父は英国出身の農夫、1871年にニュージーランドで生まれ、地元カンタベリー大で磁気の研究を行った後、24歳で英国ケンブリッジ大キャベンディッシュ研究所へ留学、JJトムソンの指導を受け、気体のイオン化や放射線のα線、β線分類などを行った。その後モントリオールやマンチェスター大を移りながら、α線がHe原子核であることを実証。さらに弟子のガイガー(Johannes (Hans) Wilhelm Geiger、独、1882~1945年)らが見つけたα線によるAl箔の散乱現象(ラザフォード散乱)から、恩師JJトムソンの原子模型が正しくないことを証明し10^-12mm程度の非常に小さい「原子核」を発見、長岡(ながおか はんたろう、日、1865~1950年)の土星モデルに似た「太陽系型モデル」を提案した(1911年)。長岡との差は、中央に鎮座する核の大きさで、ラザフォード・モデルは自身が発見した陽電荷が集中したとても小さい原子核を持つ点にある。さらに長岡は多数(数100から数万個)の電子が回りを回っていると考えていたようだが、ラザフォードは数個から数10個程度の個数で、現在のモデルに近いものであった。

 このラザフォードの活躍を横目で眺めていたのが、彼の研究室に数ヶ月ほど立ち寄っていたニールス・ボーア(Niels Henrik David Bohr、デンマーク、1885~1962年)であった。ボーアは「量子論の父」と呼ばれている天才科学者だが、原子モデルを完成させた人でもある。1885年、デンマークのコペンハーゲンで生まれ、父はコペンハーゲン大の教授、祖父は中学の校長という学者家系の長男であった。家庭では常に最新科学の話題が議論される環境で育ち、コペンハーゲン大に進学、物理を学ぶが、勉強だけでなく弟と共にサッカーでも優れた才能を発揮した(弟はオリンピックに出場しデンマークを銀メダルに導く)。26歳でイギリスのキャベンディッシュ研究所に留学JJトムソンの下で研究、その後先輩のラザフォードを慕い、マンチェスター大で数ヶ月を過ごした。そこで遭遇したのが、ラザフォードの原子モデルであった。

 ラザフォード本人以上に、この新原子モデルの重要性を認識したボーアは、帰国後すぐこのモデルにプランクの量子仮説を適用することで、ラザフォードモデルにあった2つの欠点を修正し、「ボーアモデル」を確立(1913年)する。ラザフォードモデルにあった欠点とは、

①電子が核の周りを回っているなら、光を放出しながら、核に落ち込んでしまう不安定性があるはず
②その光放出波長は連続分布のはずだが、実際には線スペクトル(定まった波長でしか生じない)。
 つまり古典的な「太陽系モデル」では、原子は不安定で原子からの発光状態も事実と異なる。

 という2つの課題があった。そこで

③電子の回転軌道は、その角運動量がプランク定数(h/2π)の整数倍に制限される。そして
④発光波長は③で離散化された軌道間のエネルギー差とプランクの量子仮説によって決まる

という大胆な仮説を導入(参;mvr = nh/2π…③の式表現、⊿E = En-Em=hν…④の式表現)。

これによって、①と②の問題を解決し、さらに水素原子からの発光実験結果を見事説明できたのである。ボーアの原子モデルは正しいようで、より原子番号が高い多電子原子(He以降)などへの拡張を行うモチベーションが生まれた。まさに原子モデルの夜明けを迎えたのだが、しかし③や④仮説の真意はド・ブロイ(第68話)やシュレディンガー(第70話)を待たねばならなかった。

 原子の中身が分かって来たことで、人類の好奇心はさらにミクロな領域に向かってゆく。そう、原子核の中身である。

⑤なぜ、原子核は正電荷の塊なのに、反発し合わないで小さく安定に存在できるのか?

という疑問である。ここで活躍したのが、再びラザフォードであった。1919年、彼はα線を窒素、ホウ素、ナトリウムなどの原子に衝突させると、なんとH(水素)原子核が飛び出し、元素が他の元素に変換されることを発見する(まさに錬金術!)。これは「各元素の原子核がα線(He原子核)の衝突により壊され、その内部に含まれていたH原子核が飛び出したため」と考え、最も基本的なH原子核を「陽子」と名付けた。しかし⑤の問題にはこれでは答えられない。そこで

⑥質量がほぼ陽子と同じで電気的に中性の粒子(中性子)が陽子と共に原子核に存在しているのではないか

と予言(1920年)、この中性子は弟子のチャドウィック(Sir James Chadwick、英、1891~1974年)により発見、実証される。しかし⑤はまだ謎のままであった。

宿題65: さて⑤の謎を解いてみよう(ノーベル賞級の難問)

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