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* 電子・IT・新技術9:ビデオレコーダ(1956年:アンペックス社)

Q85:ラジオ放送が始まり、音声を記録するテープレコーダが発明された。次にTV放送が始まり、映像を記録するビデオレコーダが発明されたが、これはテープレコーダ技術を改良したものだった。音声と映像の記録には、どこに違いがあるのだろう?

 高周波、つまり振動の速い波を記録することは、容易ではない。紙に鉛筆でジグザグの振動図形を書くことを想像すると分かるだろうが、速くかつ振幅の大きいジグザグを書くためには、高速で鉛筆を動かすかもしくは紙のほうを高速で移動させる必要がでてくる。テープレコーダの場合は、磁気ヘッドのギャップを狭くしてより細かな磁気信号を出力させ、かつ磁気テープの回転スピードを超高速にすることに対応する。それにしても20KHzと4MHzでは差は200倍にも達する。どうやって高周波記録を実現できるようにしたのだろう?尚、現在はデジタル4K,8Kの時代なので、さらに高精細で高フレームレート(滑らかな動きを出すための1秒あたりのフレーム数)な画像信号を記録している。

 第2次世界大戦が終わった1945年、連合国側は(敗戦国の)ドイツで優秀な磁気記録テープレコーダが既に実用化されていることを知って驚いた。米陸軍の通信隊に勤めていた技術者ジャック・マリン(John T. "Jack" Mullin 、米、1913~1999年) はドイツのラジオ局で手に入れたAGE社製のテープレコーダと磁気テープを米国に持ち帰り、その技術力の高さに驚き改良に取り組んだのである。そして1947年にハリウッドで改良型テープレコーダの公開実演をしていた時に歌手のビング・クロスビー(Bing Crosby、米、1903~1977年)に出会う。クロスビーは当時売れっ子の歌手であり、ラジオのスターであった。当時のラジオ放送は全てがライブ実演であり、その緊張感とプレッシャーに当時のスターはほとほと参っていたのだ。しかしレコードの音はまだ悪くて放送に使えない。そんな時にマリンの改造したハイファイ音質のテープを聞いて「これでラジオ放送に革命が起きる!」とクロスビーは直観したのである。あらかじめスタジオでテープ録音しておき編集で手直しをする事で、ラジオで流すことが可能になるからだ。これなら「失敗が許されないライブの緊張感から解放される。」マリンはクロスビーのチーフエンジニアとして雇われた。さらに地元カリフォルニアの小さな電気会社(社員6名)に新しいテープレコーダの開発・製造を依頼し投資まで行ってくれたのである。これが後にビデオレコーダの老舗、米アンペックス社になる。

 50年代に入るとクロスビーはTVに進出する事になる。そこでマリンはアンペックス社と組んで画像を記録できるビデオレコーダの開発に乗り出した。まさにTV時代に必要になるニーズ先行型の開発であった。1952年に試作機の完成をみるが、その実用化のために優秀な社員、ギンズバーグ(Charles Paulson Ginsburg、米、1920~1992年) やドルビー(Ray Milton Dolby、米、1933~2013年;後にドルビー研究所創業)を有するアンペックスチームが活躍し、1956年に世界初の2インチVTR(VRX-1000)を当時の価格$50000で発売。その後長く放送局で使われる事になる。このビデオテープレコーダは高周波記録を可能にするために様々な工夫がされていた、「4個のヘッドを持つ回転ドラム」「テープ走行と垂直方向への高速断片記録」「信号のFM変調と断片記録のつなぎ合わせ」つまりオーディオ用のテープレコーダーではテープの走行方向に記録をしていたのをやめ、走行とほぼ垂直方向に断片化した信号を高速回転ドラムで記録する方法を取り、これによってテープ面に対する磁気ヘッドの相対走行速度を40m/secまで上げたのである。これが画像信号に必要な10MHzクラスの高周波記録を可能にした。この回転ドラム方式は現在もVTR技術として使われている。

 しかし、この2インチVTRは小型自動車並みに大きく、高価(日本円で当時3000万円ほど)であったため、財政の豊かな放送局のみが使える貴重品であった。しかしその便利さゆえ世界中で利用が進み、その当時の歴史的に貴重な記録テープ(アーカイブ)を各国の放送局に残す事ができた。ただ現在これを再生できる機器の保守ができないため、再生することができずにお蔵入り状態にあるようだ、とても残念である。2インチVTRはその後、1959年にカラー化がなされ、1964年にはハイバンド化(高周波記録特性の改善)により画質が改善される。また、1971年にはそれまでの職人技だった「テープの手切り編集」を「タイム・ベース・コレクタ」と呼ばれる同期信号の利用技術により電子編集を可能にし、かつ画像のゆれ(ジッター)も低減させた。このような改良を進めながら2インチVTRは1980年頃まで30年にわたり放送局で活躍することになる。80年代に入ると、アンペックスと日本のソニーにより新VTR規格が作られ、より小型で安価な1インチVTR時代に入る。そしてその後アンペックス特許を回避した3/4インチのUマチック(カセット化)、さらに民生機の1/2インチのベータやVHSの時代を向かえ、VTRが家庭で普及するようになったのである。これらは主として日本のメーカーによってなされていった。

宿題85: 磁気記録のためにはVTR機器だけでなく、信号を記録する磁気テープの存在も重要だが、日本で最初に磁気テープを開発したソニーは、紙の上に磁性粉を塗ることで磁気テープを作っていた。当初、どうやって磁性粉を紙に塗布したのだろう?

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