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* 電気・磁気22:電子レンジ(1946年:スペンサー)

Q79:M君は、氷を早く溶かそうと思い電子レンジに入れて「チン」をした。さてうまくいっただろうか?

 電子レンジは、マイクロ波を発生させ、その電波を食品に含まれる水分子に吸収させ、水の分子振動による発熱により加熱をさせる。と説明されるが、コレはウソである。もし本当なら分子振動吸収が似ている氷も解けるはずだが実際は溶けない。冷凍ものの解凍は電子レンジでうまく行かないのである。さて、「水の分子振動による発熱」のどこがウソなのだろう?水(H2O分子)の分子振動は確かに存在し、その振動の吸収周波数帯は100THz(テラヘルツ=1012Hz)程度の赤外線(波長だと0.7~2μmあたり)になる。、電子レンジで使っている2.45GHz(ギガヘルツ=109Hz)に比べ、5桁ほど高い周波数の電波(光の領域)なのである。

 では電子レンジのマイクロ波は水分子に吸収されないのか?もちろん吸収される。しかしそれは分子振動ではなく、水分子集団の回転運動となる。つまり、よりマクロ(巨視的)な水分子集団が作る「誘電分極」(電荷分布のズレ)がこのマイクロ波に旨く共鳴し、内部の反応損失(摩擦のようなもので、Tanδ損と呼ばれる)で熱を発生させているのである。このメカニズムを「誘電加熱」と呼び、誘電分極の少ない氷にはあまり効果的では無い。(似た名前に「誘導加熱」(IH加熱)があるが、これは導体に電磁誘導を生じさせ、その時発生する渦電流の抵抗発熱を利用するもので、これは全く別ものである。)

 さて、電子レンジの発明には、面白い逸話がある。戦闘機レーダー用のマイクロ波発信器である「マグネトロン」の製造メーカー、米レイセオン社の技師パーシー・スペンサー(Percy LeBaron Spencer、米、1894~1970年)は1945年のある日、駆動中のマグネトロンの傍に立っていた。その時、偶然ポケットの中のキャンディーが溶け始めたことに気付く。好奇心のわいた彼は、同僚と次の「実験」にかかる。ポップコーンの原料をマグネトロンからマイクロ波を取り出す導波管のそばに置いてみると、見事ポップコーンが出来て弾けたのだ。これは面白いと!さらに実験を続けた、今度は卵である。卵は加熱され弾け、黄身が同僚の顔を直撃した。(レンジで卵を加熱してはいけない教訓は、すでにこの時点で得られた!)「マイクロ波は調理に使える!」そう確信し、特許を出願(1946年)する。レーダーの会社であった、レイセオン社もこの「愉快な発明」を大歓迎し、1947年に電子レンジ(レーダーレンジという名前を付けた)を世界で初めて発売したのである。

 スペンサー(米、1894-1970)はメイン州で生まれる。3歳の時に父を亡くし、母は子供を捨てて失踪、叔父と叔母に育てられた。小学校を出た後12歳で工場で働き始め、18歳で海軍に入隊、無線電信を扱った。その後1920年にレーダー会社レイセオン社に入り、マグネトロンの製造に関わる。ここで様々な改良を行い、日産17個だったマグネトロンを日産2600個に引き上げる。小学校しか出ていない技師がレイセオン社をマイクロ波のトップ企業に引き上げたのである。そして、偶然、上のような経緯で電子レンジを発明して、新たな産業まで興したのだ。彼はその後、300を越える特許を取得しなんと副社長にまでなった。

 ところで、日本でも同様の発見がされていた記録がある。太平洋戦争中の1944年、日本海軍はマイクロ波による航空機攻撃の武器開発を行っていた。この時、実験材料にサツマイモを用いたら、これが焼き芋になったと言うことである。そして、ウサギを殺すところまで開発を進めたようだが、そこで敗戦を迎え、開発は中断された。戦時中ゆえ、これを調理器に展開するゆとりは当時の日本には無かったのだろう。スペンサーらの発明より少し早かったのに残念である。しかし、マグネトロンが日本でもオリジナルで開発され、その応用開拓がなされていたのである。戦争が技術進化の大きなモチベーションになっている1つの例と言えるだろう。

 ところで電子レンジは、当初なかなか売れなかった。なにも高価なマグネトロンなど使わなくても火を使えば、調理はできるからである。実は電子レンジの普及は日本企業による低価格化と使いやすさの開発によってなされたのである。1960年ごろ、強力な磁石を用いた空冷式の安価なマグネトロンが開発されたことがきっかけになり、東芝、シャープ、松下などから国産の業務用電子レンジが生み出された。しかし市場の反応は鈍く、商品テスト誌からは「高価で愚劣な商品」と酷評された。1965年からついに家庭用が発売され、それまで100万円以上していた業務用が10万円代にまでコストダウンされたのである。さらに1969年になるとレイセオン社の特許が切れ、各社が安価なマグネトロンの生産を開始したため、1970年代にはレンジも10万円を切り、普及に弾みがかかった。同時に米国への日本製電子レンジの輸出も始まり、その安価さと便利さから爆発的に売れ、1975年には米国の「ガスレンジ数」を上回る普及を達成する。現在では中国製電子レンジが1万円程度で買えるようになり、下宿学生の必需品になるまでになった。

宿題79:コンビニではプラスチック容器の弁当を電子レンジで温めてくれるが、プラスチックは電子レンジで使っても大丈夫なのだろうか?

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