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* 道具・力学18:ベルヌーイの定理、流体力学の開祖(1738年:ベルヌーイ、オイラー)

Q20:一枚の紙を顔の前で縦方向に垂らして持ち、紙の左面をかすめて息を強く吹くと、紙は左右どちらにゆれるか?

 流体の示す、不思議な性質である。息を吹きかけ、流体(空気)の増えたほうから風圧を受け反対側の右に揺れると考えがちだが、事実は逆になる。2つの風船の間に息を吹きかけると2つの風船がくっついてくる、これも同じ現象。スイスの天才科学者&数学者ベルヌーイ(Daniel Bernoulli、スイス、1700~1782年)が分析した現象で「ベルヌーイの定理」と呼ばれている。わかりやすく言うと「流体の早く流れる側の圧力が下がる」という性質であり、流体の示すエネルギー保存則の表れとみなされている。しかしこの時代にはまだ「エネルギー」の概念も無く、それが保存するという認識もまだ確立されてはいなかった。いったいベルヌーイはどうやってこの性質を解明したのだろう?

ベルヌーイには、信頼できる友人(後輩)がいた。彼の名はオイラー(Leonhard Euler、スイス、 1707~1783年)、18世紀最大の数学者であり彼の見出した公式は数知れない。オイラーは我々が息をするように数式と戯れたと言われている。まずオイラーの見つけた流体の運動に関する方程式から話は始まる。オイラーは先人ニュートンのプリンキピアを熟読し、これが幾何学的に表現されていることに疑問を感じた。ニュートン自身が見つけた微分積分学を用いればもっとスマートに表現できると考え、プリンキピアを解析的(微積分の形)に書き直したのである(1736年)。これが現在も使われているニュートン方程式であり、オイラーの変形によってその適用範囲は著しく広がった。そしてオイラーはこの微分方程式を流体に応用することで、流体の運動方程式を見つける。ベルヌーイはこの友人の作った方程式に注目し、これを積分することで運動のエネルギーの概念を見出した。そして流体の性質を次のように分析した。

「流体の運動エネルギー」+「流体の位置エネルギー」+「流体にかかる圧力」=一定

今で言う、エネルギー保存の法則だが、「圧力」の項を持つところが質点(粒子)のエネルギー保存則と少し異なっている。そしてこのことが流体の不思議な性質を生み出すのである。たとえば流体のスピードが上がると、「流体の運動エネルギー」は上昇する。流体の位置エネルギーに変化は無いから、結局エネルギーが保存するためには「圧力」が下がらなくてはならない。つまり「流速が速いところの圧力は低くなる」、これがベルヌーイの定理の本質である。(ただしこの性質は粘性を持つ実際の流体には完全には正しくない)

さて、ベルヌーイの人生であるが、幸福であり悲惨でもあり、ともかく異常な家庭に生まれてしまったのである。流体の定理を見つけたダニエル・ベルヌーイの父は数学者ヨハン・ベルヌーイ、そしてその兄(つまりダニエルの伯父)がヤコブ・ベルヌーイ、この3名とも天才であり、それぞれが歴史に名を残している。ところが天才の中にも序列はある、幸か不幸か最高の天才は子のダニエルであった。これを実父ヨハンがやっかむのである。ヨハンは子ダニエルの成果を奪い取り自分の成果として発表し、ダニエルが大学に就職するじゃままでする(親から子供への虐待)。さらに兄ヤコブへの虐待も執拗であった。大学での職を希望していたヨハンは有能な兄ヤコブがすでに大学でいたためなかなか教授職にありつけなかった、そこで数年以上にわたりヤコブへ執拗な攻撃を仕掛けたのである。この攻撃に疲れきったヤコブは51歳で死亡、ようやくヨハンは念願の教授職を手にすることになる(実に恐ろしき父親であり弟であった)。

ところでダニエルの友人であり超天才のオイラーは、実はこの父ヨハンに見出されたのである。オイラーの父は牧師であり、なんとヤコブ・ベルヌーイの数学上の弟子でもあった(ああ、ややこしい!)。そして父から数学の手ほどきを受けたオイラーは、13歳で早くも大学の授業を受け始め、そこでヨハンにその天才を見出される。オイラーの父親は息子を牧師にしたかったのだが、ベルヌーイ父子からの強い説得でこれをあきらめ、子は数学への道を進むことになる。これが人類の歴史を変えることになった。17歳で修士号、19歳でパリ科学アカデミー賞に輝き、20歳でダニエルの強い推薦で、ロシアに渡り大学教授に就任する。ベルヌーイ父子はまさにオイラーを育て、生かした一家ともいえる(実の子は虐待しその友人を育てるとはなんという変人なのだろう)。そしてそれに答えたオイラーの業績はすさまじい。どれほどすごい天才だったか?その一部を次にあげてみよう。

1909年、スイス自然科学協会は、オイラーの全論文・著作の刊行を計画する。ところが始めてみると恐るべき論文数で現在74巻まで出版できたものの、21世紀に入った今なおまだ未完成。オイラーは一人の数学者が一生をかけて書くレベルの論文を1年程度で書き上げ、この偉業を50年間続けたのである!さらに、37歳のとき、目の酷使により右目を失明、さらに64歳のときには左目も失明(なんと全盲になってしまう)したが、研究意欲は全く衰えずその後76歳までの12年間全く研究に支障は無く論文を出し続けたのである。すべての複雑な計算を暗算で行い、記憶し、正確な結論を出した(執筆は弟子の口述筆記)。又ある夜眠れなかったので、1から100までのすべての整数の6乗を暗算で計算し、全て暗記していたということだ。まったく凡人の学習意欲を無くさせる能力であり、その創造性の参考にもならない。ただ唖然とするだけの超天才であった。人類史上最も多くの論文を書いた数学者とも言われている。

宿題20: 台風が来た後によく見られる風景に、道路上のマンホールの蓋が飛んでいる光景がある、なぜマンホールの重いふたなどが飛び上がるのだろう?

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