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* 道具・力学14:ケプラーの法則(1618年;ケプラー)

Q14: ケプラーは5年間もかけて行った火星の軌道計算が、わずか8分(0.13度)だけ観測結果からズレている事に気づいた。さて彼はどうしたか?

 数年間も情熱をかけて努力した結果が徒労に終わる事を確信したとき、みなさんはどう感じるだろうか?オリンピックを目指し努力してきた選手が試合の前に突然怪我をしてしまうようなものである。ケプラー(Johannes Kepler 、独、1571~1630年)は非常に律儀で真面目な人だった。そしてそれ以上に諦めない人であった。5年間に渡る細かい計算結果が否定的な結論を示したとき、彼は相当な落胆をしたであろう、がしかし諦めなかった。師匠であるチコ・ブラーエ(Tycho Brahe、デンマーク、1546~1601年)の観測結果をも疑わなかった。20年をかけ精密な天体観測を行い、死後、自分にその観測結果をゆだねた師の仕事の確さを信じていたからだ。(一方で、社交好きで金持ちのチコと、孤独癖で質素なケプラーは性格が合わず、よく師弟間で喧嘩をしたとも伝えられている。)

 ケプラーは、子供の頃に見た彗星や月食が強烈な原体験となり、天体に異常な興味を持つようになる。しかし子供の頃かかった病気が原因で目が悪くなっていた、このためチコのような観測者にはなれず、得意の数学を生かした観測結果の分析者になった。チコの集めたデータは膨大かつ正確なものであり、この貴重な遺産を引き継いだ彼は、アリストテレス以来信じられていた「惑星は円運動をする」という誤った考えに翻弄されながらも、悪戦苦闘しついに真実に到達するのである。データ分析をし始めて9年後、ケプラーは膨大なデータから2つの真理を読み取ることに成功する。「惑星は太陽を焦点とする楕円軌道上を回る:ケプラー第一法則」、「面積速度は惑星毎に一定である(角運動量保存則):ケプラー第2法則」(以上1609年)。さらにそれから9年後、3番目の真理「惑星によらず公転周期の2乗は平均距離の3乗に比例する:ケプラー第3法則」(1618年)を見つけだし、ケプラーの3法則を完成させたのである。これら3つの法則はその後ニュートンが万有引力を発見する際の大きなきっかけとなる、それほど驚異的発見だった。

 ケプラーはガリレオとほぼ同世代の人である、2人を比較することは興味深い。実験を重視し科学という方法を開いた天才ガリレオに対し、ケプラーは科学史上やや背後に隠れている。しかし同じ天体というテーマで比較すると、正確なチコのデータを保有していた分、その成果は勝るとも劣らない。例えば、ガリレオはあれほど革新的な考えをしていたにも関わらず、惑星の運行は「完全な円運動をする」という古い概念に縛られつづけた。ケプラーはこの呪縛から逃れられた最初の人である。たかが「円と楕円の差」と考えてはいけない。当時の宗教観からすると「神の創造した世界は調和の世界であり、円こそがふさわしい」と考えられていたからである。つまり楕円のような不調和なものを天体に導入したケプラーは宗教的に許されず、しかも地動説も支持していたため、ガリレオ以上の反逆者とみなされた。1600年代当時、真理を主張することは宗教との対立を意味し、家族や体を張って戦う主張であって、決してノーベル賞などもらって喜ぶ時代ではなかったのだ。

 望遠鏡の改良でもケプラーはガリレオを凌いでいる。ガリレオの作った望遠鏡は、オランダで発明された、凸レンズと凹レンズの組み合わせに準じたものだった(ガリレオ式望遠鏡)。このタイプは正立像が見られる点は良いのだが、倍率は低く、視野角も狭い。ケプラーは凸レンズ同士の組み合わせで、この点を大幅に改良し現在も使われている天体望遠鏡の方式「ケプラー式望遠鏡」を発明したのである。ケプラーの関心はさらに広く、雪の結晶が6角形である理由の分析、球の玉を最も多く箱に詰める方法が面心立方格子構造である予想(ケプラー予想)、惑星の運行表の完成など、幅広い研究を行った。そこには数学的な考察をベースとしながら、幾何学的さらには音楽的な調和の観点から物を眺めたとき何が見えてくるか?といった美意識が強く見られる。

 ところでケプラーは師のチコから膨大なデータ以外にどのような思想や考え方を得たのだろう?とても興味深い点は、チコは実は地動説を否定し天動説を支持していたことである。厳密に言うと従来の天動説ではなく、「宇宙の中心は地球であり、その周りを太陽と月が回っている、という従来の天動説に加え、さらに太陽の周りを(地球以外の)惑星が回っている」という複合的な新しいモデルである。しかし地動説は観測データから支持しなかった。それはもし地球が太陽の周りを回っているなら、天空の星(恒星)を観測したときに、年周視差(夏と冬で恒星の見える角度が少し異なって見える現象)が観測されるはずであるのにそれが観測できない、というのが理由であった。確かに観測事実に基づく説得力のある意見である。しかし残念ながら、この年周視差はごく微小な値なので、この時代の観測能力ではとても検知できない微小量だったのである。そして弟子ケプラーはチコのデータを用いた火星の計算から、皮肉にも師のこの新天動説を否定し地動説の正しさを証明してしまうのである。

宿題14:チコ・ブラーエは緻密な天体観測を20年近く行ったが、望遠鏡のまだ無い時代にいったいどうやって観測を行ったのか?

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