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* 道具・力学9:印刷機(1450頃:グーテンベルク)

Q9:グーテンベルクの活版(活字)印刷機で、最初に印刷された本は何?

 活版印刷機は人類に本という活字メディアを普及させることになった重要な発明であり、これによって情報時代が開かれたのである。事実「グーテンベルク聖書」はその後の宗教改革を引き起こし、人々の価値観を根底から揺るがす要因になった。ところで、グーテンベルクの印刷機には発明のための要素技術が3種類ほど含まれている。それは「金属活字」「印刷用プレス機」「油性インク」の技術であり、面白い事にそれら3技術とも基となる技術の種が既にその時点で存在していた。グーテンベルクの偉大なところは、これら3つの既存技術を統合し「活版印刷機」というシステムに仕上げたことにあり、優れた組み合わせ型(異分野統合型)発明と言える。

 ところで印刷技術自体は7世紀に中国で木版による印刷法として誕生している。これが8世紀に生まれた「紙」と融合し、10世紀頃の宋時代には木版印刷による書籍製造が行われるようになった。11世紀になると、北宋の畢昇(ひっしょう)が粘土活字を発明し、漢字の活字印刷をいち早く始めている。さらに13世紀に入ると朝鮮(高麗)で銅活字が使われ、中国では彩色印刷術まで現われるほど発展した。このようにアジアで先立って発明された印刷技術はおそらく印鑑文化から発想されたものであろう(印鑑はBC3000年ごろメソポタミアで生まれている)。しかし中国の印刷技術は基本的には木版的な手作業であり「機械」にまで発展することは無かった。この技術はシルクロードを通り、ヨーロッパに伝えられ発達することになる。

 グーテンベルクはドイツで1400年頃、金属細工職人の家系に生まれた。当時中国からの原始的印刷術も伝わっていて、これらが印刷技術に興味を持つきっかけになったのだろう。金属細工は装飾品や貨幣の加工技術として使われており、金、銀、鉛、錫、アンチモン等の材料が用いられていた。グーテンベルクは父親が行っていた貨幣に模様を刻む技術を金属活字作りに応用し、これらを自由に組み合わせ(植字)、文字の差し替えや、別の版の作成などが自在にできる活版印刷へと展開させて行った。金属活字は「母型」と呼ばれる凹面の型に鉛、錫、アンチモン合金を流しこみ、鋳造により整形して作る方法が用いられるのだが、フォントデザインや印刷の美しさにも初期から拘りを持っていた。事実、現存するグーテンベルク聖書の美しさは見事で、なんとカラー(多色)印刷されており、活字の美しさや装飾模様の見事さは、これが最初の印刷本であることが信じられないほどである。

 ところで印刷用のプレス機は、なんとワイン農園で当時使われていた「ぶどう圧搾機」をそのまま印刷用に転用している。又、このとき使用した「紙」は羊皮紙と呼ばれる丈夫な用紙を、プレスに耐えられるように工夫した。インクは当初水性インクが使われていたが、これは活字へのインクのなじみが悪く印字むらが生じるので、グーテンベルクは活字面及び紙面の両方になじみがよい油性インクを開発している。ススを油で溶かし粘性の高いインクを作り利用したのである。そしてこれら3種の技術を組み合わせて、印刷装置として完成させるため、約15年間に及ぶ試行錯誤を行い、印刷を手作業から機械作業に進化させることに成功したのだ。

 ところで、グーテンベルクは活版印刷機の研究や実用化を行う上で、多大な資金を必要とした。幸いにも、印刷の将来性を信じた、ヨハン・フストという資産家からなんと1600グルデン(現在の約1億円)もの資金援助を得ることができた。この資金を基に金属活字、印刷機そして印刷工場を作り、20人ほどの職人を雇って聖書の印刷にかかる。ところがこの印刷に予想外の時間(約3年間)がかかったため、出資者のフストから、借金返済を求めて訴訟されてしまう。不幸にもグーテンベルクはこの裁判に破れ、しかも一番弟子シェーファーもフストに取られ、借金の肩代わりに、すべての活字、印刷機と工場が差し押さえられてしまった。しかしこの負け裁判の公式文書が残っていたため、グーテンベルクが活版印刷の発明者である証拠となり、歴史上の偉人と認められることになった。なんとも皮肉なことである。

 フストと弟子シェーファーは、差し押さえた印刷機でグーテンベルク聖書を完成させた後、いろいろな書籍の印刷を続けなんと115種類もの本を刊行する。フストは積極的に営業活動を行い、世界初の本のセールスマンとなった。しかし、この好調も長くは続かず1462年あたりに起こった内乱の影響でフストたちの印刷工場は壊され、活動は停止。さらにグーテンベルクの他の弟子たちがどんどん印刷所を作り競合していったため、印刷技術は各地・各国に分散・伝承され、その技術を独占することが出来なくなってしまった。一方、グーテンベルク自身はその後自宅で印刷活動を再開し、百貨全書「カトリコン」(1460年刊)の印刷と発行を行っている。しかしその後の活動については良く分かってなく、一説によると、活字を作る際の鉛中毒により、失明したとの事である。兄姉との仲もうまくいかず、婚約破棄の訴訟記録もあり実生活はあまり幸せではなかったようだ、70歳でひっそりと世を去ったとされている(1468年)。

宿題9:活版印刷は現在ではあまり使われていない、これはなぜだろう?

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