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* 熱・化学21:気体の状態方程式の発見(1873年:ファンデルワールス)

Q48:学校でボイル=シャルルの法則を学んだF君は、PV=RT(気体の圧力×体積は絶対温度に比例)の式を見て、奇妙に思った。これでは絶対0度(-273℃)で気体の体積がゼロになってしまうではないか?さてこれは本当だろうか?

 理想気体というのは、気体を構成している分子間に力が働かず、無限小の大きさの分子が自由運動をしているというモデルである。実際の気体でこのモデルに近い状態は、圧力が低く温度が高いという、お互いの分子が離れている状態と言える。常温、常圧の気体は理想気体に近いが、圧力が高く、温度が低い状態では分子間の間隔が狭くなるため、理想気体モデルからずれ、ボイルシャルルの法則が成り立たなくなる。ところで分子間隔が非常に狭くなると、物質は気体から液体へと「相」を変化させる。そしてさらに温度を下げ、分子運動をも低下させると、液体から固体へと固まってしまうことは、水などで日常体験することだ。では液体や固体状態でも成立するボイル=シャルルの法則は無いのだろうか?この様な疑問に初めて答えたのが、ファン・デル・ワールス(Johannes Diderik van der Waals、和蘭、1837~1923年)であった。

 ファン・デル・ワールスは1837年オランダのレイデンで、貧しい大工の息子として生まれた。労働者階級のため正規教育は小中学校でしか受けられなかった。ところがその後の努力がすさまじい、18歳の時、能力検定試験を突破しまず小学校の助手になる。その後23歳で小学校の数学教師資格を得て、教師をしながら25歳の時レイデン大学の聴講生になり数学と物理を学ぶ。その後27歳で難関である高等市民学校の数学教諭の試験に通り、さらに翌年物理教諭の資格も得て、高等学校教諭として採用される。34歳の時、高等教育の規制が改訂され、苦手な古典語(ラテン語)の資格なしで博士試験が受けられるようになり、これに合格、レイデン大の正規学生となる。1873年、36歳で博士論文「気体状態及び液体状態の連続性」を提出、博士資格を得たのである。実に18年間にわたる、試験との戦いであった。そしてこの論文こそが理想気体のボイル=シャルルの法則を、実在気体そして液体までにも適用できるように拡張した革命的な論文だったのである。

 ではどのように修正拡張したのだろう?

 理想気体と実在気体の差異を次のように考えた、

①分子間力が無い ⇒ 分子間には弱い引力が働く(ファン・デル・ワールス力)
②分子は体積がゼロ ⇒ わずかな分子体積があり気体の実空間体積を排除する
③そしてこれら2つの修正項を、ボイルシャルルの式に加えた(次式参考)。

 (P + a/V^2)(V-b) = RT 、 ここでP:圧力、V:体積、R:気体定数、T:絶対温度

つまり、①の項目の補正として圧力Pに体積Vの2乗に反比例するaの項を加え、②の補正として体積Vから分子の排除体積bを引いたのである。たったこれだけの補正で、ボイルシャルルの法則は実在気体から液体に至るまで連続的な状態を説明できる非常に強力な式に拡張された(ただし、この式で固体の状態までは記述できない)。

 ファン・デル・ワールスはこの発想のヒントをクラウジウス(Rudolf Julius Emmanuel Clausius、独、1822~1888年)の1857年の論文記述「気体分子には互いに充分近づいた時だけ作用する力があり…」から得て、先行するルニョーとアンドルーズの実験結果と上記の式が良い一致をするように定数a,bの値を決めた。ところでこの論文に対する反応はほとんど無かった。ただマクスウェル(電気・磁気8話参)が、その重要性を見抜き、「困難なテーマに独創的な方法で取り組み、新しい着想を与えた」と評価、さらに「数学的なあいまいさがあり完全なものではないが、その結果は有効で衝撃的だ」と賞賛した。そして、この状態方程式の威力はその後じわじわと理解されるようになる。発表から4年後、1877年に彼の名はようやく有名になり、高校教師からアムステルダム大学の教授に任命されたのである。高校教師が書いた論文が世界を変え、1910年にノーベル物理学賞がこの成果に与えられた。

 ところで、この方程式には単に気体の状態を表すだけでなく、新たな科学の世界を切り開く力があった。それは極低温の世界である。ファン・デル・ワールスは自分の式の課題として、気体によってa,bの定数値が異なることや、気体から液体に相が転移する(臨界)温度、圧力などが違うこと(当然と言えば当然だが)に苦慮し、いろいろ式をイジッていた時、驚くべきことを発見する。温度(T)、圧力(P)、体積(V)を転移の臨界値で規格化し(つまり割り算をして)書き直すと、物質によらない同じ定数の「普遍的な状態方程式」になることを見つけたのである(1880年)。そして、これまで液化が困難であった、酸素、窒素、水素、の液化が順次実現されることになる。さらにヘリウムの液化に挑んだ友人オンネス(Heike Kamerlingh Onnes、和蘭、1853~1926年) は1908年にこれに成功する(量子・相対論5話参)。彼は「ファン・デル・ワールスの式が実験の指針だった」と述懐している、そしてオンネスは3年後に大ホームランである「超伝導」を発見することになる。

宿題48:ファン・デル・ワールスは分子間に働く弱い(ファン・デル・ワールス)力の原因は何である、と考えたのだろう?(難問)

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