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* 熱・化学4:水素の発見(1766年:キャベンディッシュ)

Q23: ヘンリー・キャベンディッシュ(Henry Cavendish、英、 1731~1810年)はクーロンの法則、オームの法則、ゲイ=リュサックの法則、比熱、潜熱の発見、砒素の発見と科学者としては最多の発見をしたと言われている。しかしながら各法則に彼の名前が付いていないのはなぜか?

 科学界における、最大の奇人と言えるのがこのキャベンディッシュである。イギリスの大金持ち貴族の家に生まれ、職業を持たず、自宅に閉じこもり趣味の科学研究に没頭した。その優れた成果はほとんど外部に発表されることなく、78歳で一生を終える。後に、天才マクスウェル(James Clerk Maxwell、英、1831~1879年)により、キャベンディッシュの未発表資料が整理分析され、数多くの驚異的な発見が歴史より早くなされていることが判明したのである。彼は成果を発表するということにほとんど興味が無かった。純粋に科学を楽しみ、自然界の謎を一人で解明しそれで満足したのだ。幸い生前に発表されたごく一部の成果だけでも、水素の発見や重力定数の決定など、科学史に残る重要な発見がある。それにしても彼はなぜ、社会から高く評価されるはずの成果の公表に関心を持たなかったのだろう?

 ヘンリー・キャベンディッシュは1731年、莫大な財産を有するイギリス貴族の長男として南フランスのニースで生まれた。それは病弱だった母親が郷里のイギリスを離れ、ニースで養生していたからである。母親はヘンリーが2歳のときに亡くなる。イギリスに戻り学校教育を受け、そしてケンブリッジ大学へ入学したもののなぜか学士号を受けず22歳で退学をする。その後、物理好きの父親の影響を受け、父の家の一室に実験室を設け、ここに籠もり実験に熱中したのである。29歳の頃、父親の勧めで王立協会の会員になり、そこで生涯にわたり18本の論文(のみ)を発表した。これらはどれも非常に高い評価を受けたが、しかしそれは研究のほんの一部にしか過ぎなかった。膨大な研究ノートがキャベンディッシュの死後発見され、さらにそれらが、19世紀になって、ケルビン(William Thomson, 1st Baron Kelvin、英、1824~1907年)やマクスウェルなどの天才の手によって分析され驚愕の事実が判明するのである。

 ヘンリーは異常な交際嫌いであり、とりわけ女性が大の苦手であった。もちろん結婚はしていない。使用人の女性とですら顔を合わせることを嫌がった。ある日運悪く彼と顔を合わせた使用人は解雇されてしまったという逸話まである。神経質で、人と会っているときはおどおどし、止むを得ない科学者との会合以外一切の社交をせず、変人と見られていた。父親の死後、莫大な財産を実験装置の購入にあて、一人で私設の実験室にこもり研究に熱中したのである。彼にとって、研究そのものが意味を持ち、結果の公表には人との交わりが生じるため、全く関心を抱かなかった。このおかげで科学の進歩は数10年から100年ほど遅れることになる。ただ、歴史が示すことは、たとえキャベンディッシュのような超天才が生まれなかったとしても(発表をしないということは、結局そういうことになる)、その後の小天才たちによって、歴史の歩みは多少は遅れるものの結局再発見されるということである。つまり科学の進化は天才を幾人か失ったとしても、やはり止まらずに進んで行くということであって、これは科学自身のもつ生命力なのかもしれない。

 さて著名な水素の発見だが、キャベンディッシュの時代はフロギストン説(燃焼の間違ったモデル)が優勢であり、モノが燃えるとはモノの中に含まれている「フロギストン(燃素)」が抜けて空気に吸収されること、と考えられていた(熱・化学の第1話参照)。この時代に彼は次のような実験上の発見をする、「亜鉛や鉄などの金属を酸によって溶かすと気体が発生する、この気体は非常によく燃え、軽く、その重さは空気の約1/11しかない。」(1766年)これはまさに「水素」の発見なのだが、彼は「フロギストンを発見(分離)した」と考えた。そしてこの成果を喜び、さらに実験を続け「フロギストンと空気を混ぜ、その中で電気火花を飛ばすと水が生じる」事を発見する(1784年)。これは水素と空気中の酸素が電気火花により結合して水ができたのであるが、これも「金属から出てきたフロギストンにはまだ水が結合していて、さらに空気中で燃やすことにより「真のフロギストン」が抜け、水が現れた」と解釈したのである。なんと回りくどい解釈か!と現在の人は思うが、これが当時の天才の分析だった。正しい解釈は、翌年ラボアジェ(1785年)(Antoine-Laurent de Lavoisier、仏、1743~1794年)によって行われる。キャベンディッシュの見つけた実験事実は皮肉にも彼の信奉していたフロギストン説を自ら葬りさるきっかけを与えることになったのである。

宿題23: キャベンディッシュは静電気しかまだ知られてなく、電流計もない時代に、なんとオームの法則(電圧と電流が比例する法則)を見つけてしまう。いったいどうやって電流の大きさを測ったのだろう?

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