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* 道具・力学15:機械式コンピュータ(1642年:パスカル)

Q15:無人島にたどり着いたあなたは、今後の生活のため計算(加減算)をする必要に迫られた。しかし電卓はもちろん紙もペンも無い。計算結果は残しておきたいのだが、さてどうやって計算を実行すればよいだろう?

 人類が計算を始めたのは紀元前3000年あたりで、エジプトでピラミッドが作られる少し前のメソポタミア時代と言われている。その後ギリシャ時代に使われた計算板「アバカス」がエーゲ海サラミス島で発掘されている。これは何本もの筋の入った大理石の上に小石(カルクリ:カルキュレートの語源)を並べて用いる算盤で、現在のそろばんの祖先になるものである。アバカスは世界中に伝わり、中国では紀元前1000年頃にそれが進化した「そろばん」が使われていた。日本には室町時代(1444年頃)にようやく中国から伝わり、上の段の「5玉」を2個から1個、下の段の「1玉」を5個から4個にする改良(シンプル化)が行われ、現在のそろばんに至っている。日本人によるこのそろばん改良のおかげで、イメージ化が容易になり暗算が可能になった。又、手法の進化により加減乗除はもちろん開平(ルート計算)や開立(立方根計算)なども可能となっている。

 さて、人類最初の計算道具と言えるそろばんだが、コンピュータの先祖というには少し苦しい。人間の補助操作が必要で、かなりの訓練を必要とするからだ(それゆえ、級や段の資格がある)。単純な操作で計算を容易にできるように工夫した「計算機」はいつ頃発明されたのだろう?最初の計算機と呼べるものは歯車の回転を利用した機械式コンピュータで、発案者は、歯車が大好きだった(?)レオナルド・ダビンチと考えられている(1500年頃)。彼のメモにその構想が残っているが、実際に作られたかどうかは不明。現存する最古の歯車式計算機を作ったのは数学者パスカル(Blaise Pascal、仏、1623~1662年)で1642年頃のことだった。パスカルは19歳の時、税務官であった父親の仕事(計算)を楽にしてあげようと、歯車式計算機を設計し製作、その後10年間にわたって改良と試作を重ねた。なんとこの間に作った計算機の数は50台を越えており、加減算しかできなかったものの8桁までの計算が可能であった。

 ところで、この最初の計算機が現れる少し前にもう一つの画期的な計算道具が発明されている。それは対数の性質を利用した「計算尺(対数尺)」であり、これは1970年頃まで実用計算器として使われた。a×b=c の時、log a+log b=log c(a、bは正数)が成り立つという対数の性質は、乗法を加法で、除法を減法で計算することを可能にする。よって対数尺を用いれば大きな桁数の乗除算を簡単に行うことができるようになるのである。この発明は、1614年にネイピア(John Napier、英、 1550~1617年)が対数を発見したことをきっかけに、1620年にガンター(Edmund Gunter、英、1581~1626年)が初期の対数尺を、さらに複数の尺を互いにずらして計算をするという実用的な計算尺を1632年にオートレッド(William Oughtred、英、15741660年6月30日)が発明した。かつて技術者の必需品であった計算尺であったが、関数電卓の普及により1970年後半あたりから使われなくなる。

 さて、人類最古の計算機を作製したパスカルだが、「人間は考える葦である」(著作パンセより)という有名な言葉で哲学者として、又「静流体の圧力はどこも同じ」という「パスカルの原理」の発見で科学者として、さらに気圧の単位としても良く知られている(圧力の単位1パスカル(Pa)は、1m^2の面積に1ニュートン(N)の力が作用する応力のこと。気象でよく使われるヘクトパスカルは100Paのことで、かつて使われていたミリバールと同じ値)。しかし彼は一方で、なかなかの商売人であった。コンピュータの元祖と言える歯車計算機を工夫しながら大量に作り、これに「パスカリーヌ」という愛称を付け販売しようとしたり。又、乗り合い馬車のシステムを作り、今のバス運輸業のはしりと言える商売を始めたりした。成功はしなかったものの、その商売っ気はかなりのものであったようだ。哲学、宗教、数学、科学、技術とあらゆる分野で天才的才能を発揮し、事業家としての意欲も強かったパスカルだが、体が弱かったため39歳で早世してしまう。

 パスカルは1623年フランスに生まれた。父親は税務官であった。学校教育は一切受けてなく、父からの英才教育で育つ。ここで特に数学の能力を開花させた。12歳の頃、独力で三角形の内角の和が180度であることを証明。16歳の時やはり独力で「パスカルの定理」(円に内接する6角形の向かい合った辺を延長した3交点は必ず直線上に並ぶ、という美しい定理)と呼ばれる幾何学上の大発見をしている。さらに友人から受けた質問「もし賭博を途中で止めた場合、どうやって金を分配するべきか?」を真剣に考え、有名な「パスカルの三角形」を見つけ、確率論の創始者となった。

(参考;パスカルの三角形)(A+B)^nの展開係数を並べたもの、2項係数とも言われる。

            1		(パスカルの三角形の特徴)
              1 1		・1以外の数は上位左右の数の和
      1 2 1		・横の数列の和は2n
     1 3 3 1		・横の数列を1つの数字と見たときその値は11n
    1 4 6 4 1		・△の左端の列は「1の列」「自然数列」「三角数列」
   1 5 10 10 5 1		 「4面体数列」‥となっている
    ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥	・頂上からある数字までの最短経路の数はその数自身

 パスカルを育てた父親も数学的才能に相当恵まれていたようだが、パスカルが8歳の時、突然仕事を辞め一家(姉と妹と4人、母は既に死去)でパリに出て、息子の教育に専念した。そこで積極的に一流の科学者の集会にパスカルを参加させている。最初の頃は数学の勉強を禁じていたという逸話もあるが、息子の数学能力に驚嘆し支援に回ったのだろう。この孟母三遷の教えとも言える父親の教育で育ったパスカルは、その天才をのびのびと発揮するようになった。数学と科学で始まった彼の才能はその後「宗教的回心」(神の声を聞くというスピリチャルな体験)を経験することで、宗教、文学、哲学の領域にまで至るのである。元来体の弱かったパスカルは常に、頭痛、胃痛、歯痛に悩まされていたようだが、ある日歯痛に耐えかねて、それを忘れるため、ある数学の問題に取り組む。そして集中してできたのが「サイクロイド曲線論」、この理論が出来上がったとき歯痛は消えていたというウソのような話が残っている。普通なら頭まで痛くなりそうだが。

宿題15; パスカルの歯車計算機は、加減算しかできなかった、これを改良して乗除計算も可能にした歯車計算機が、後の1671年に数学者ライプニッツにより発明される。パスカルができなかった掛け算をライプニッツはちょっとした工夫で可能にしたのだが、それはいったいどのような工夫だったのだろう?

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