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* 量子論・相対論6:電子の波動性(1923年:ドブロイ)

Q68;D君は学校で、「それまで波と考えられて来た光が、実は粒子だった。」とアインシュタインの光量子説(63話)を習った時、「波」⇒「粒子」という考え方の転換にとても感激し、これを逆に捉えて、「粒子」⇒「波」という考え方の転換もあるのではないか?と考えた。しかし友達に話すと「形や質量の明確な粒子が、それらの不明瞭な波になるとはとても思えない、砂粒が波なんてナンセンスだ」と笑われてしまった。さてD君の考えは本当にナンセンスだろうか?

19世紀末にプランクの光輻射の考察から始まった科学革命の種は、アインシュタインを経由して、20世紀初頭、様々な波紋を投げかけていた。その大きな一つが電子の真の姿の理解である。ド・ブロイ(Louis-Victor Pierre Raymond, 7e duc de Broglie 、仏、1892~1987年)は1892年フランス名門貴族の家系に次男として生まれる。パリ大で歴史学を学び卒業(1910年)するが、物理学者の兄(Louis-César-Victor-Maurice, 6e duc de Broglie、仏、1875~1960年)から第1回ソルベイ会議(1911年)で議論された「輻射と量子の理論」という科学革命の内容を聞かされ、がぜん物理に興味が沸き、再びパリ大に戻って物理を学び理学士となった(1913年)。1914年から第1次世界大戦のため6年間軍務につく、ここで無線通信技術を開発する。戦後は1920年(28歳)に、パリ大に戻り、兄と共に研究生活についた。ところでこの兄弟、性格が全く異なっていた、兄は陽気で社交家、常に友人や客人を招き最近の科学について議論を活発に行っていたようだ。一方の弟は出不精で、人との交流を好まず、一人で黙々と考察に耽るのが性に合っていたらしく、留学経験もない。後に受賞したノーベル賞授賞式すら出たくなかった、とのことである。

さて、研究を再開した1920年当初は、X線コンプトン効果の研究を行いながら、光の本質を理解するためアインシュタインの光量子仮説を基に、光の粒子性と波動性の関係を考察した。その後、ハミルトン(William Rowan Hamilton、アイルランド、1805~1865年)の解析力学と波動論との類似性に気付き、それらの基となった「力学の最小作用の法則」と「光のフェルマーの原理」の同等性から、粒子性と波動性が光だけによらず物質全体に関わると推論したのである。ここで相対論のE=MC^2と光量子仮説のE=hνを組み合わせ、hν=MC^2とおくことで、粒子内部に付随する振動νの存在を仮定した。これより相対論の考え方を用い、それぞれの観測者から見た内部振動数を議論することで、ド・ブロイの関係式、「λ=h/p」…①を導いたのである(これはアインシュタインの関係式と形式は同等だが、そこに盛り込まれた意味は全く異なる;第63話参)。

そして、この関係を水素原子の電子に適用することで、ボーアの量子条件が自然に導かれ、ボーア自身も理解できていなかったボーア条件の物理的理由、つまりそれこそが「電子の波動性」なのだが、その理由が分かって来たのである。1923年、31歳のド・ブロイはこの成果を博士論文にしてパリ大の指導教官ランジュバン(仏、1872-1946、ブラウン運動を記述したランジュバン方程式の発見者、キュリー夫人との不倫?でも有名)に提出した。

この革新的な論文を受け取ったランジュバンは困ってしまった、論文の価値が学内の教授陣では判断できないのである。大発見なのか詐欺なのか?そこでアインシュタインにこの論文を送り、判断を仰ぐ事にした。歴史の妙味であろうか、アインシュタインは丁度その頃、インドの無名な若者ボーズ(Satyendra Nath Bose 、印 、1894~1974年)から「光量子の統計」に関する掲載を却下された歴史的論文原稿を受け取り、その革新的内容を高く評価していた所だった。そして今度はド・ブロイ論文である。その価値をすぐに認めたアインシュタインは「ノーベル賞の価値があります」と返す。さらにアインシュタインはボーズ原稿からインスピレーションを受けて作成した「ボーズ=アインシュタイン凝縮」論文の中で、このド・ブロイの電子波論を引用し高く評価した。そしてこの指摘がシュレディンガー(Erwin Rudolf Josef Alexander Schrödinger、墺、1887~1961年)に衝撃を与えることになる。彼は「粒子に宿る波」の考えを発展させ有名な「シュレディンガー波動方程式」を発見、量子力学の数学体形を作りあげることになる(第70話)。量子力学においてもアインシュタインが偉大なキーパーソンであったことが分かる。

 電子の波は意外なところで実証された。米WE社(現在ベル研)の技師ディビソン(Clinton Joseph Davisson、米、1881~1958年)は1921年頃から、電子線の金属薄膜による散乱現象を調べていた。偶然ニッケル薄膜が電子線により加熱され再結晶化を起こしたことで、それまでランダムに散乱されていた電子が、急に特定の方向に強い散乱を示した(1925年)。この現象は「電子の波動性により結晶格子からの強い散乱が生じたため」と現在では簡単に理解できるが、当時ディビソンはド・ブロイの仮説を知らなかったため、その説明ができないで困窮する。しかしヨーロッパの研究者からド・ブロイ説を教わり、彼の実験結果が理論と良い一致をする事を確認したのである(1927年)。これに少し遅れるが、ほぼ同時に英のG.P.トムソン(George Paget Thomson、英、1892~1975年)も同様な実験を行い、ド・ブロイの波動性を実証した。尚、G.P.トムソンの父親は電子の発見者であるJ.J.トムソン(第57話)であり、粒子としての電子を父親が見つけ、波動としての電子を息子が確認した(親子でノーベル賞を受賞)ことになる。(ただし、父は電子は波などではない!とその波動性を認めず、古典論の枠から出られなかったと言われている。歴史的親子喧嘩!である)

宿題68: 電子の波動性は現在、利用されているのだろうか?

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