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* 電気・磁17:無線機(1895年:マルコーニ)

Q56: 1865年、マクスウェルによって理論的に予言された「電波」は、22年後の1887年、ようやくヘルツによりその存在が実証された。しかしなぜかヘルツはこの宝の山を無線通信に応用することなく、電波の研究からあっさり足を洗ってしまった。いったいなぜヘルツはその可能性を捨てたのだろう?

ヘルツ(Heinrich Rudolf Hertz、独、1857~1894年)の思いとは裏腹に、電波実証の成果は多くの技術者たちの無線通信への夢を掻き立てることになった。ヘルツは理論も実験もこなす天才であり、頭が良すぎたのである。科学技術の世界でしばしば起こることだが、頭が良すぎると先が読めてしまうため、バカなチャレンジをしなくなる。しかし、とりわけ技術分野においてはこのバカな夢を追いかけることにより、多くの発明や実用化がなされているのである。頭の良さより情熱的な実行者が勝利を得るということである。実行への情熱も又、天才の1要素だろう。そしてそのようなバカなチャレンジをした人たちが無線の世界を切り開いていった。イタリアのマルコーニ(Guglielmo Marconi、伊、1874~1937年)もそのような一人である。

 まず、ヘルツやマクスウェル以前に遡ってみよう。そもそも離れた空間で力を伝えるものとして古くから磁石が知られていた。そしてその磁力と電気の作用を見つけたのはファラデー(1831年電磁誘導の発見:第38話)であり、彼は磁力線という仮想の存在を提言し磁力と電気の相互作用による波(電波)のようなものを想像していた。1866年米の歯科医師ルーミス(Mahlon Loomis、米、1826~1886年)は無線での電信をめざし、バージニア州のブルーリッジ山で凧を使ったアンテナを用い24km間の実験に成功したらしい。1873年には特許を取るがその原理は「空中電気層の導電現象」とするもので、あまり科学的ではなかった。1878年英のハーガス(David Edward Hughes、英、1831~1900年),はマイクを開発中、接続されていない近くにあった電話器から偶然音声が受信できていることを発見、1880年に英国王室協会で再現実験を示す。しかし、これは単なる電磁誘導作用と判断され、電波実証の栄光は得られなかった。だがこれは、その実験構成からヘルツに先んじた電波検証と現在見られている。このように発明発見の歴史には、ほぼ必ず「その前」が存在していて、ロシア、中国などを含めるとさらに歴史は書き換えられそうだ。

 さて、ヘルツ以降、無線への期待は一気に高まり、開発は以下のように進んだ。

1893年;テスラ(ユーゴ)高周波コイルと無線機を開発し公開(図面と実験有り)
1895年;マルコーニ(伊)2km程度の無線電信に成功、無線機を公開
  同年;ポポフ(露)無線の公開実験を行う
1897年;ロッジ(米)電波検出器「コヒーラ」を発明、98年には同調回路も発明
1900年;マルコーニ、テスラに特許抗争で敗れる、無線電信会社を設立
1901年;マルコーニ大西洋横断無線通信実験に成功、テスラは放送局を建築

理論派のテスラ(Nikola Tesla、クロアチア、1856~1943年)と実践派のマルコーニの競争で開発が進むが、マルコーニはヘルツ、テスラ、ロッジ等の発案をうまく利用し改良した感が強い。よって特許抗争ではほぼ敗訴している。しかしその実行力と情熱は誰よりも強く、継続した工夫と実験でどんどん通信距離を伸ばしていった。特に大西洋横断無線の功績はマルコーニであり、無線実用化の父と言ってよいだろう。ところで、エジソンはこの無線通信の分野に興味を持ったものの、珍しくあまり手を染めなかった、「無線の開拓にはあまりに多くの時間と金がかかるから」とその理由を述べ、「大西洋を電波に飛び越えさせることを企画し、成功させた途方もない大胆さを持つマルコーニ氏に会ってみたい。」と賞賛している。

 さてマルコーニは、1874年ボローニャに大地主の金持ちの家に生まれ、学校には行かず、個人教授による教育で育った。幼い頃より科学と電気に興味を持ち、隣人のボローニャ大の物理学者リーギ(Augusto Righi、伊、1850~1920年)から、ヘルツの成果を教わると電波の活用に情熱を持つ。1894年にヘルツが亡くなった頃からヘルツの再現実験を自宅の屋根裏で始め、無線電信の実用化を目指した。そして21歳の時、この自宅実験室で1.5マイル(2.4km)の通信に成功。用いた技術は、ヘルツ型の火花送信機、ブランリー(Édouard Eugène Désiré Branly、仏、1844~1940年)の原理的コヒーラを用いたロッジ式受信機、そして長く垂直に立てたアンテナと接地(アース)技術などを旨く組み合わせながら、1km以上の通信を達成している。同様な実験は多くの人も試していたが、1kmを越えることはできていなかった。

この成果に気をよくしたマルコーニは、イタリア国内で技術を売り込むが関心をもたれず、1896年母親と共に(母親はアイルランドの酒造会社の娘だった)イギリスに渡り、公開実験を繰り返しながら無線の特許を得る。さらに英国政府からの支援を得ることもできた。そして、1899年にアメリカに渡り公開無線通信実験を行った後、大胆にも直線的には地球の丸さのため遮られて見えない、大西洋間3500kmの無線通信に挑む。凧を用いて吊り上げた150mもの大きなアンテナを使って成功した。その後も大西洋間通信実験を繰り返し、夜間のほうが日中より電波の到達距離が長いなど、理にかなった結果を得ている。1909年にノーベル賞を得たが、特許訴訟ではほとんど破れ、新規な発明は行っていないというのが歴史上の評価である。しかしその実証実験と通信の実用化に果たした役割は非常に大きいと言える。(トランジスタ技術、2015年3月号に掲載)

宿題56:無線実験は陸上より海上で行われることが多かったが、なぜだろう?

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