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* 電気・磁気15:映画(1891年:エジソン、1893年:リュミエール兄弟)

Q54: 映画の先祖は静止画の写真(カメラ技術)である。では静止画をいかに動くように見せたのだろう?

人間の視覚は1/10秒程度、残像を感じる、という特性がある。つまりこの時間より短い間に次の映像を見せると映像が滑らかに動いているように感じるのである。この一種の錯覚を利用した道具(見世物)は1831年、ベルギーのプラトー(Joseph Antoine Ferdinand Plateau、ベルギー、 1801~1883年) によって発明され「フェナキスト・スコープ」と呼ばれた。これはパラパラ漫画をこま(独楽)の円盤に描き、こまの軸を横に寝かせて回転させ、円盤の裏側から画と画の間に入れたスリットを通して表円盤上の絵を見るというものである。このタイプのスリット式回転体による動画のおもちゃはその後何種類か現れ、見世物として1800年代半ばあたりに大衆の人気を得ていた。

次の大きな進化は写真家エドワード・マイブリッジ(Eadweard Muybridge、英、1830~1904年)によって1877年に12台のカメラを使って撮影された「走る馬」の連続写真である。これは初めてフィルム上に残された連続静止画像と言える。さらに彼は「ズープラクシ・スコープ」という投影機も発明し(1880年頃)、彼の撮影した連続静止画像を動いて見える動画として再生させ、多くの人々を驚かせた。その後アメリカ中をデモしながら回り、1888年にはエジソンの研究所を訪れ、エジソンの作った蓄音機(電気・磁気10話)とこの動画装置との連携を提案したのである。エジソンはこの提案に強い興味を持ち、早速マイブリッジ式の改良を試み、1888年秋には「キネト・スコープ」と呼ぶ活動写真装置の特許申請をした。

 このような時期、米のイーストマン(George Eastman 、米、1854~1932年)は写真用フィルムを産業化しようとしていた。1881年に写真フィルムの生産工場を設立。1888年にはフィルムカメラ「コダック」を、そして1889年にはもっと便利なセルロイド製の巻き上げ式ロールフィルムを作ったのである。このロールフィルムにエジソンはひらめいた、これで連続写真を撮り、それを断続的に再生すれば、動画として実用的なキネト・スコープができるだろうと。時代の進展というのは、かくも見事に絡み合って、新しいものを生み出すのである。そしてエジソンにはその融合の才能があった。そして、多くの人が彼をたよって、先端的な技術を彼に紹介したのである。(情報が発明で名高いエジソンに集まって来たのだ)

 そこで、エジソンはフィルムに連続静止画を撮影するための工夫としてロールフィルムの縁に一定間隔で穴を空け(パーフォレーションと呼ばれる)、さらに1コマづつ静止させながらフィルムを送る撮影機を開発する。尚、再生機はスクリーンに投影させず、覗き箱タイプのキネト・スコープを開発した。これは「一度に多くの人が見られるようになったら、装置が数多く売れなくなる」というエジソンのビジネス感覚によるものだった。しかしエジソン社で働いていた映画開発担当のディクソン(William Kennedy Laurie Dickson、英、1860~1935年)は、大勢で楽しめるスクリーン投影方式を主張しエジソンと対立、結局エジソン陣営としては両方の技術を持つことになった(後にディクソンは独立し対立を深める事になる)。その後エジソンは蓄音機との同期再生や字幕投影技術なども開発している(1890年代後半から1900年代)。

 1890年代に映画技術の開拓者は、エジソン以外にも数多く現れた。有名どころはエジソンの覗き箱式キネト・スコープを投影式に改造したレーサム兄弟(1895年、後にディクソンと組む)、間欠フィルム走行技術のアーマット(1896年、これはエジソンにそっくりパクられる)、そしてリュミエール兄弟(兄;Auguste Marie Louis Lumière 、仏、1862~1954年、弟;Louis Jean Lumière 、仏、1864~1948年)などである。特にリュミエール兄弟は現在映画の父と呼ばれていて、映画100年祭などは、彼らの映画開発を起点として数えられている。さて彼らは何を発明したのだろう?

 リュミエール兄弟は、画家であり写真技師である父親のもと、1862年と64年にフランスで生まれた。1893年シカゴ万博で公開されたエジソンのキネト・スコープに刺激を受け、父親のアイディアを頼りに多くの人が見られる映写機(シネマト・グラフ)を試作する。1895年2月に特許を取得して、その年の12月末に自分たちで撮影した映画をパリのカフェで有料上映した。自分たちの工場の出口の様子を映した映画など数本を公開し、そのリアルな映像に多くの聴衆は衝撃を受けたようだ。これが映画上映の始まりと言われている。映画の可能性を確信したリュミエール兄弟は、世界中に撮影隊を派遣し(1897年、日本にも来た)、多くのドキュメントフィルムを撮影、それらの上映を続けた。尚、エジソンの拡大投影方式の活動写真はリュミエール兄弟に遅れ1年後の1896年に完成し、公開された。エジソンのビジネス感覚は蓄音機の時と同様に誤っていたのである。

宿題54:映画はハードウエアだけでは普及しない。コンテンツ(映画作品)が重要なポイントだが、最初は街の風景のようなドキュメントを発明家たちが撮り公開していた。ところで最初のストーリー映画はいつ頃作成され公開されたのだろう?又その内容は一体何だったか?

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