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* 電気・磁気14:エーテルの存在を否定(1887年:マイケルソン=モーレー)

Q53: まさる君は幽霊が存在しないことを証明したいのだが、どうしてよいか分からない。そこで幽霊を信じている伸司君に相談したところ、「僕は見たことあるから、君はもう否定はできないよ」と言われてしまった。まさる君はどうすれば、伸司くんに対して「否定の証明」ができるだろうか?

否定の証明というのは、このように実に難しい。存在証明は、一つの事実を実験もしくは理論で客観的に示すことができればそれで完了するが、存在否定の証明は、あらゆる可能性について検証を行い、客観的事実(データ)に基づき「否定の実証」をする必要があるためだ。この困難にも関わらず、マイケルソン(Albert Abraham Michelson、米、1852~1931年)たちは、それまで多くの天才たちが信じていた、宇宙にいる幽霊「エーテル」の存在を実験により否定したのである。ところで科学において否定の歴史は過去にもあった。燃素説(熱・化学1話)や熱素説(熱・化学7話)はその代表例である。これらの否定は、その説では説明できない現象をみつけ、その欠点を補う新たな説(モデル)を提案すればよかった。しかし幽霊や神の存在のようなテーマでは、その矛盾の指摘が容易ではない。では、エーテルの場合どの様に存在否定がなされたのであろう?

 そもそもエーテルとは何だろう?ここで言うエーテル(aether)はアルコール物質の事ではない。それは宇宙を貫き存在し、光や電磁波を伝える架空媒体のことである。そしてマクスウェルが電波の存在を数式で予言した時(1865年、電気・磁気8話参)、その存在はほぼ確実視された。電波という波を送るためにはどうしても波を伝える媒体が必要だからである。それは音波を伝えるためには空気が、海や川の波を伝えるためには水が必要という経験からの類推であった。実はエーテル概念の誕生はもっと昔にさかのぼる。17世紀に天文学が発展した時、宇宙空間を満たすものとして「エーテル」という架空物質がデカルトなどから提言され、その概念が光や電波の存在要因として繋がったのである。かつて惑星の運行はエーテルの海に漂う船のようなイメージで考えられていた。このエーテル説はホイヘンスにより光の波動性が提唱された時(1678)、にわかに信憑性を増すことになる。波を伝える媒体が無いと、光が宇宙空間を伝わることが説明できないと考えられたからである。そして電波の発見(1865、マクスゥエル)と実証(1888、ヘルツ)により、その存在が確実視されたのだ。

 そこに現れたのがマイケルソン、彼は光のスピードを計測することに執念を燃やしていた。そして彼の名がついたシンプルながら精密な光の干渉計を発明する(マイケルソン干渉計、1881)。これを使って、彼はエーテルの存在を実証しようと考えた。つまり否定ではなく実証が目的だったのである。そして彼は実証実験に「失敗」する。この失敗が世紀の大発見となった。マイケルソンは1852年ドイツ(現ポーランド領シュトレルノ)に生まれ、2歳で家族と共にアメリカに渡った。17歳で海軍兵学校に入り物理を学び卒業、2年の軍隊経験をして母校で物理と化学を教えた。そしてこの頃、光速の測定を始めている。その後1879年天文学者サイモン・ニューカム(Simon Newcomb、米、1835~1909年)と出会い、支援を得てドイツへ留学、ここでマイケルソン干渉計を発明(1881年)した。その後フランスへ留学後、アメリカに戻りクリーブランドのケース工科大の教授職につく。ここで朋友モーレー(Edward Williams Morley、米、1838~1923年)と共に行ったのがエーテル実証の実験だった(1887年)。

 マイケルソンらは、「海の上を速度Vで泳ぐ魚を、同じ方向に速度Uでただよう船から見たとき魚の速度はV-Uに減速されて見える」という考えをベースにして、魚を光に、海をエーテルに、船を地球に置き換えてみた。つまり「エーテルの中を光速Cで進む光を、同じ方向にUで進む地球から観測するとC-Uの速度に減速されて見えるはずだ」と考え、一方「エーテルに対し静止した地球からは光は本来の速度Cで見えるはず」と見なし、その両者の光速差を高精度なマイケルソン干渉計を用い比較測定したのである。尚、地球のエーテルに対する絶対速度は分からないので、太陽周りの地球の公転運動を利用して、太陽の方位に対する相対速度を比較する事にした。さて光速の差はいくらだったのだろう?それは期待に反し、いくら実験を繰り返しても、エーテル中の地球の運動方向による光速差に優位な違いは全く観測されなかったのである。つまり実験は「失敗」だった。

 この結果に驚いた当時の科学者からは「エーテルは特別であり、海のようなものではない」というエーテル擁護の珍説がいくつも出された。しかし万人を納得させるには至らない。ただその中で数学者ローレンツ(Hendrik Antoon Lorentz、和蘭、1853~1928年)の提案したローレンツ収縮の議論だけはなかなか俊逸で後でアインシュタインの相対論でも活用されることになる。一方で困ったマイケルソン達はいったいどうしたのだろう?実は、さらに精度を高めた実験を繰り返したのである。しかしいくら工夫しても、やはり差が無いことが確証されるばかりであった。マイケルソンの死後も多くの人たちがこの「差」の観測をつづけたのである。そしてマイケルソンの実験から約100年後の1979年、ホールらによりレーザ光源を用いた最も精度の高い測定結果が得られた。それは、マイケルソンのさらに5000倍以上の精度で差が無いことが確認されたのである。どうやら「エーテルという幽霊は存在しない」事が実験で確認されたと言ってよさそうである。

宿題53:まさる君はいよいよ幽霊が存在しない実験をはじめる計画を立てたのだが。エジソンが晩年、霊との交信器を発明しようとして失敗したことを聞き、その装置に興味を持った。エジソンが失敗した理由は何だったのだろう、そしてそれを改良した追試は可能だろうか?

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