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* 電気・磁気12:発電機(1832年ピクシー、1871年グラム、1882年エジソン、1888年テスラ)

Q51: 1831年ファラデーにより電磁誘導が発見され(電気・磁気7話)、翌年、彼は原理的な発電機も発明している。しかし発電器が実用化されたのは1882年エジソンによってであった。最初の発明から実用化まで50年もかかった理由はなぜだろう?

 偉大な発明も、それを活用できるもの(アプリ)が現れるまでは、単に科学実験室の道具でしかない。発電器もそうであった。そして実用化されるとその技術進化が急速に進むのである。原理的な発電機は1832年にファラデーが電磁誘導の発見後すぐ発明している。1824年に作られたアラゴの円盤(François Jean Dominique Arago、仏、1786~1853年)に似ていて、永久磁石に挟まれた回転金属板で構成され、回転外周と回転軸の間で発電が起きるものであった。ところがファラデーの電磁誘導発見以前に、電磁気の相互作用を利用したモーターや発電機の実験を始めていた人がいる、ハンガリーの物理学者イェドリク(Jedlik Ányos István、ハンガリー、1800~1895年)は1827年から回転コイル式の発電機開発を進め、1850年代には完成させていたようだ。彼は残念ながら特許を取らなかったがその発想の早さには驚く。

 現在の発電機の基本構成である回転磁石とコイルによるダイナモ式の発電機は、1832年にピクシー(Hippolyte Pixii、仏、1808~1835年)により発明された(ファラデーの発明と同年!)。これはUの字型の永久磁石を2つの固定されたコイルの近傍で回転させ、さらに回転軸につけた整流子(交流電流を直流(脈流)化する工夫)を通し、電流を取り出す実用的なものであった。ただ、ファラデーの電磁誘導の実験モデルをほぼそのまま流用したようなもので、整流子以外に大きな新規性は無い。このように発電機の構成は発明のレベルとしては簡単なものであるため、その後多くの人たちがこの改良を手がけた。回転部分を永久磁石からコイルにしたり、永久磁石の個数を増やしたり、コイルの巻き方に工夫を与えたり、運動のさせ方(回転やら往復運動やら)を変えたり、様々な特許が提出され効率改善が行われていった。しかし、基本構成は同じである。そして現在も同じなのである。発電の仕組みは、コイルが磁束を切ることで発電するというファラデーの基本原理は全く変わっていない(電磁誘導のメカニズムであり、マイクやスピーカーも同じである!)。

 ところで、電気で動くモーター(電動機)は、発電機と基本的な構造が同じなのだが、いったいどちらが先に発明されたのだろう?原理的なモーターは1821年に、やはりファラデーにより発明されていて、モーターが先と言える。しかしこれは実験室で電線が動く程度のもので実用的ではなかった。実用的なモーターはある偶然から「発見」された。1873年ウィーンの万博で2台のダイナモ型発電機を並列に接続して発電させていたグラム(Zénobe Théophile Gramme、ベルギー、1826~1901年)は、片側のダイナモを発電させるともう一つの発電機が回転することに気付く。つまり発電機に電流を注入するとモーターとして働くことが偶然分かったのである。さらに発電機の効率を上げる改善を行うと、モーターとしての効率も改善され、発電機は実用的なモーターとしても使えることが見出されたのである。このことより実用機としては発電機が先と言えるだろう。

 さて発電機に話を戻す。発電機は技術的興味から1850年あたりに数10年かけて改善されてきた。では最初の産業化はいつ誰が行ったのだろう?つまり、いつ人類は今の電気社会インフラを持つことができたのだろうか?現在社会から電気を取り去ることなど考えられないが、実は意外にその始まりは最近であった。それは、1871年グラムが彼の改良した発電機でアーク灯を光らせる事業に使い始めたのが最初と言える。グラムはモーター機能を偶然見つけたり、発電事業を起こしたりと活躍しているが、いったいどのような人だったのだろう?彼はベルギーに生まれフランスで活躍した電気技師であった。当時、独ジーメンス社の発電機は発電電流の脈動(ゆらぎ)が大きく、又、整流子での損失と発熱も大きかったため、彼はこの課題を、イタリアのパチノッティ(Antonio Pacinotti 、伊、1841~1912年)が発案した「環状巻線構造」を利用しながら改善し、安定で連続運転可能なグラム式発電機を作り上げた(1869年)のである。

 以上は「直流発電機」の展開である、しかし歴史は「交流発電」に進んで行くのである。これは交流のほうが変圧(電圧を変える操作)が容易であり、送電の際に高圧で送電して送電損失を減らすことができるからである(損失は電圧の2乗に反比例して減るため)。まず1881年、独のジーメンスが水車駆動式の交流発電機で英国の街灯点灯を行う。翌年英国のゴードン(James Edward Henry Gordon、英、1852~1893年) は画期的な2相式交流発電機を発明、さらに1888年天才技師テスラ(Nikola Tesla、ハンガリー、1856~1943年)によって画期的な多相交流(例えば3相交流は3本の電線で3つの交流電力を送ることが可能になる!単相交流だと6本が必要)の時代が開かれる。この発明は、直流で電気事業を始めようとしていたエジソンと交流送電か直流送電か?の熾烈な規格戦いを展開し、テスラの交流方式がこの戦いに見事勝利するのである。これらの歴史的展開により、人類は交流電力インフラによる電気エネルギー活用社会を19世紀末に手にすることになった。現在の家庭への電力伝送も交流方式で行われている。

宿題51: エジソンは電力として交流より直流を使うことのほうがメリットがあると主張したが、その理由は何だったか?

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