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* 電気・磁気11:電球(1878年:スワン、エジソン)

Q50) 白熱電球が光っている時のフィラメントの温度は何度くらいだろう?

 光を出すための最も簡単な方法は、モノを燃やすことである。紙でも木でも油でも、燃やすと光がでて明るくなる。電灯が発明される前の明かりは、ロウソク、灯篭、ガス灯であった。ただこの明かりは火災の危険性を伴うことが問題だった。とりわけ、産業革命時代、炭鉱において、火災や爆発の危険があるため、火を使わない照明技術が強く求められていた。そしてこのニーズに答えたのが電気を使った明かりなのである。ボルタ電池が発明された直後の1800年、ボルタ自身は炭素電極間のアーク放電による発光を確認し、仏のセナード(Louis Jacques de Thenard、仏、1777~1857年)は金属細線に電流を流すと光が出ることを見つけている。さらに1802~1808年にかけて著名な英国の化学者ハンフリー・デービもフィラメント発光の実験を行い、Pt(白金)が優れたフィラメント材料になることを見出した。しかしこれらの実験は、電池が不安定なことやすぐフィラメントが燃えて切れてしまうことから、実用には至っていない。

 実用的な電灯を作るには、2000℃を越える高温に耐えうるフィラメント材料、燃えつきないための空気(酸素)の排除、安定した発電器の3技術が必要であった。そして、多くの人が、1800年代前半にかけてこの技術にチャレンジしたのである。英国のジョセフ・スワン(Sir Joseph Wilson Swan、英、1828~1914年)もその一人だった。彼は薬品工場を経営する合間、1847年頃から趣味的に白熱電球の実験を始めた。減圧したガラス球の中に炭化した紙製のフィラメント(白金イリジウム製のフィラメントを使ったという説も有る)を入れて電流を流すという構成で、発光に成功していた。ただ、当時の真空技術の不十分さと電源の不安定さで発光寿命は短かく、実用的ではなかった。しばらくアーク灯の開発に力を注いだが、1875年頃、優れた真空技術や発電技術が現れたことから、再度電球にチャレンジ。木綿糸を化学処理後に炭化させるフィラメント技術を開発して、1878年に10時間以上の「長寿命発光」を達成したのである。これはエジソンが電灯の特許を出す前の成功であった。

 さて、そのエジソンだが、スワンに30年ほど遅れて、1877年あたりから電灯開発に興味を持ち始めた。調度、蓄音機の仕事(電気・磁気10話参)が一段落した頃である。当時すでに様々な電灯が提案・試作されていたが、しかしまだ充分実用的と言えるものはなかった。この状況はまさに「改良・実用化王」のエジソンにはぴったりの研究テーマであった。彼はまず、先人たちの研究成果を調べ上げ、その技術的欠点と実用化への課題を詳細に分析したのである。そして改善へのアイディアを出し、決してあきらめず情熱的に試作実験を繰り返した。スワン電灯の欠点はフィラメントの電気抵抗が低く、電流が流れすぎるため電灯への銅線に太いものを使う必要のあったことであった。そこでエジソンは高抵抗型のフィラメントを探し求め、世界中のあらゆる材料を研究所のメンバーに集めさせたのである。そしてそれらを炭化させ、フィラメントに加工し、光らせ、寿命を調べることを繰り返した。気の遠くなるような失敗が続く。何度も失敗を繰り返すエジソンに「もうあきらめたらどうか?」と助言すると、彼は次のように答えたと言う。「私は何千回も、これではうまくいかないという真実を発見できたのだ。」彼にとって、失敗という概念は無く、全てが真理に向かうための事実の確認であり、それらは全て成功へのステップであったのだ。

 有名な話だが、結局エジソンチームは、世界中から集めた素材の中から、日本の京都の竹が最高のフィラメントになることを確認する。なんとこの竹炭フィラメントを用いたランプは2000時間以上の長寿命を実現し、実用化を達成できたのだ。その後9年間に渡り、竹が日本からエジソンの電灯会社に輸出された。又エジソンのすごいところは、電灯の実用化と共に、電灯に必要な発電機と配電システムを同時に事業化したことである。つまり電灯を使う社会制度(インフラ)全体を作りあげ、人々の生活に革命を与え、電灯と同時に電力産業を興したのである。発明家以上に事業家でありイノベーターであったと言える。

 ところで、容易に想像できることだが、当然特許紛争が起きた。エジソンは改良発明こそしているものの基本発明はしていない。スワンからまず訴えられた。エジソン側は折れて和解、共同電灯会社を作ることになった。これが「エジスワン電灯会社(1883年設立)」で、1892年にGeneral Electric社に併合されるまで続く会社となる。又、この会社は竹フィラメントよりすぐれたセルロース製フィラメントを開発し、京都の竹は残念ながら10年後には使われなくなった。さらに特許紛争は続いたが、開発スタートが遅かっただけに、エジソンの特許力は電灯に関しては弱かったようである。

宿題50)あなたが死の床についたとして、自分の人生が満足であったかどうかを判断する基準を示しなさい。(エジソン奨学金のテスト問題)

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