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* 電気・磁気9:電話(1870年:ベル)

Q47:電話が発明された時、こんなものは役に立たないおもちゃだ、と批判された。その主な理由は「電線を引いた特定の人としか対話ができない」「直接会って話せばすむ」「電信に比べ○○の点でビジネス上の価値がない」さて○○の欠点とは何だとされたか?

 現在の電話の使われ方やビジネス展開を考えるとウソのような話である。それほどまで人間というのは新しい技術に対して、将来性を見出すことに疎いということだ。ファラデーが発電器を作った時「これがいったい何の役にたつのかね?」と政治家に批判され、パソコンが現れた時「計算はできるだろうが、いったいプログラムをして楽しむ人がどれほどいるのか?」と疑問を投げかけられたことと同様の反応である。ただ、一部の人たち(マニア?)からは熱狂的に受け入れられた。1876年フィラデルフィアの万博でベルの電話が公開された時、英の天才科学者トムソンは「アメリカで見た最大の発明だ」と狂喜し、1セット持ち帰りヨーロッパ中に紹介したとのことである。本質を見抜く人には一瞬にしてその価値が分かるという事であろう。

 さて、電話の発明者は誰か?ということが昔から話題になる。候補者は3名、グラハム・ベル(Alexander Graham Bell、英⇒米、1847~1922年)、エリシャ・グレイ(Elisha Gray、米、1835~1901年)、トーマス・エジソン(Thomas Alva Edison、米、1847~1931年)。当時発明の権利闘争で、相当な火花を散らしたようだが、いまだに新説が出て、話題になる。ここでは、ベルを中心にその発明の発想と実用化の流れを見ていくことにしよう。ベルは、1847年視話法(唇の動きで発声を理解する方法)の考案者で大学教授の父と難聴の母の子としてスコットランドに生まれる。この家庭環境のもと、自身も音声学を学び、聾教育に人生をささげることになる。例えばヘレンケラー(Helen Adams Keller、米、1880~1968年)にサリバン先生(Anne Sullivan、米、1866~1936年)を紹介したのもベルであり、自身の妻も聾者であった。ロンドン大を卒業後、24歳の時一家でカナダへ移住、その後アメリカに移り聾者教育を行いながら、ボストン大で発声生理学を教えた。この時期に生涯の友人となる弁護士ハバード(Gardiner Greene Hubbard、米、1822~1897年)や電気技師ワトソン(Thomas Watson、米、1854~1934年)と知り合いになっている。そして発声学を通して、当時技術開拓が始まっていた、電気による伝達(電信)技術に興味を持ったのである。

 さて、ベルは自分の非専門である電気や電信の技術にどのようにチャレンジしたのであろう?おそらく発想の原点は、聾教育で使われていて人工的に音声を発生できる装置「会話器」であったに違いない。これは振動膜と口の形で作られた簡単な装置だが、かなりリアルな人工音声が出せたようで、その機構に強い興味を持っていた。さらに、ロンドン大時代に電信機の発明者の一人であるホイートストン(Sir Charles Wheatstone、英、1802~1875年)から、信号を伝送する電気技術を学んでいたし、ボストン大では人工鼓膜の研究を自ら行っている。これらの要素が融合し、電気により音声を送る可能性に強いモチベーションを持ったのだろう。ベルはまず電信の改良から開始した、この時、電磁誘導の発見(実はファラデーより早い)や電磁石リレー(これも電子機の素)の発明で有名なヘンリー(Joseph Henry、米、1797~1878年)から「君に電気の知識がないなら、学べばいいだけの事だ」と激励され、電話研究を応援されたとの事。天才的な先人からの叱咤激励は、人を動かすという事である。

 ところで電話の発明とは、音を電気信号に変えるマイクとその逆の電気信号を音に変えるイアホンの発明と言える。ベルが最初に考えたのは今のダイナミックマイクロフォンの構成に近く電磁石の前に振動版を置いたものであった。又、イアホンの構成はこの構成を逆に使い、電磁石に流れる電流変化を振動板に伝え音声に変えるものであった(1876年2月特許申請の図より)。そもそもこの構成は電信機の受信機とほぼ同様であり、先行技術からの工夫が発想の原点になっている。ところがこの構成をそのまま実験しても、なかなか旨く音声を伝えることができない。そこで、マイクをライバルのグレイ案「硫酸液面に振動板をつけた針を浸すことで音声を電流変化に変える方式」に変えて実験する。そしてこの実験中に硫酸をズボンにこぼしてしまった、「ワトソン君ちょっと来てくれ」と実験装置に向かって叫んだ。その声が、受信機側に居た助手のワトソンに聞こえ、世紀の大発明になった、というドラマチックな話が伝わっている(本当か?)。さて、では誰が真の発明者か?特許提出はベルが早い、しかし最初の成功実験はグレイ案(グレイの方が発案のメモ記述が早く、彼は糸電話から発想している)をもとにした。ただ、ベルの最初の構成も原理的には悪くない。そしてさらにここに、「第3の男」が現れる、エジソンであった。

 エジソンは、音声をもっと高感度に電流に変換する炭素マイク(カーボンマイク)を1年後に発明したのである。その実用性はNo.1であり、これにより素晴らしい電話機が完成する。しかし歴史はさらに奇妙にひねられる。エジソンより早くカーボンマイクを発明していた第4の男ベルリナー(Emil Berliner、独⇒米、1851~1929年)がベルの電話会社に入り、エジソン特許に勝つのである(彼はその後レコード発明でもエジソンと戦うことになる!)。これらの特許紛争は600件にわたったというから、実にすさまじい、本来心やさしいベルは電話事業や特許扮装にはできるだけ関わりたくなかった。そしてその指揮を熱心にとったのは、友人であり義父である弁護士のハバードであった。発明家と経営者の2人3却の成果と言えるだろう。

 尚、現在「信号のレベル比」を表す単位として身近に使われている「デシベル[dB]」はグラハム・ベルにちなんで付けられたものである。(トランジスタ技術、2014年12月号に掲載)

宿題47: 1876年に発明された電話は翌年1877年に早くも外国に輸出される、その国はどこであったか?(前述のトムソンの件とは別件)

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