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* 熱・化学14:麻酔技術(1844年:ウェルズ&モートン)

Q39; 今から150年ほど前、交通事故(馬車にひかれるなどの)で大きな怪我をした人の手術はどのように行われていたか?

 まさに拷問である。多くの人は、激しい苦痛のため、失神するかショック死をした。抜歯も同様である、そのままペンチで抜いたのである。外科手術とは、かくも強靭な精神力が患者にも医者にも要求される時代であり、「麻酔」技術発見前の常識であった。う~ん、現在に生まれてよかった、と思うのではないだろうか?1800年代当時もこれでは手術より死んだほうがマシと考えて、自殺する人も多かったらしい。ところで、人々に絶大なる恩恵を与えることになった麻酔技術はどのように発見されたのだろう。

 麻酔の歴史は意外と古く、古代ギリシアや中国では既に大麻や阿片などを利用した無痛手術が行われていた。この時代の先進性には驚くばかりだが、この手法は残念ながら公開・継承されなかった。その後1540年頃エーテルが合成され(独)、1770年ごろ亜酸化窒素(N2O;笑気ガス)がプリーストリー(Joseph Priestley、英、1733~1804年)によって合成、後ディヴィー(Sir Humphry Davy、英、1778~1829年)により麻酔作用が確認される(英)。さらに1800年に入ると阿片からモルヒネを抽出(独)、1830年頃にクロロホルムが合成されるようになった(欧)。このようにして麻酔に使える化学物質が準備できて来たのが1840年頃である。この頃すでに麻酔を治療に使い始める医者も現れているのだが、その技術は公開継承されず確立された手法には至らなかった。ここで麻酔を無痛手術の手法として確立すべく活動したのが、歯科医師だったウェルズ(Horace Wells、米、1815~1848年)とその弟子モートン(William Thomas Green Morton、米、1819~1868年)である。

 きっかけは、ウェルズが見た笑気ガス実験であった。化学者コルトン(Gardner Quincy Colton、米、1814~1898年) は1844年聴衆に笑気ガスを吸わせる公開実験を行っていたのだが、その時被験者の1人が足をぶつける大怪我をして多量の血を流しながらも、苦痛を全く感じてない様子にウェルズは驚き、翌日コルトンに協力を願い、自ら笑気ガスを吸い抜歯を友人の歯科医に行ってもらった。全く痛みを感じない体験に狂喜し、その後何人もの抜歯を試しその麻酔効果を確信する。翌年、意気揚々と弟子のモートンらの援助のもと笑気ガス麻酔の公開実験を行ったのだが、準備不備もあり失敗、医師としての信用を失ってしまった。医師を廃業したウェルズは、その後悲惨な運命をたどることになる。麻酔ガス中毒になった彼は、精神錯乱を起こし、娼婦に硫酸をかけ刑務所に入れられた。そして、その後1848年33歳の時クロロホルムを大量に吸い、全身麻酔状態で自ら動脈を切断し命を絶ったのである。麻酔手術を初めて成功させてから4年後の惨劇であった。

  一方、弟子のモートンはウェルズの実験から無痛抜歯に確信を抱いていた。そこで当時若者の間で流行していた「エーテル遊び」に注目する。エーテルを吸引するとやはり笑気ガス同様、陽気になり感覚が鈍る。それにエーテルは液体で扱いやすいことから、気体で扱いが不安定な笑気ガスに代えて、エーテルを用いた抜歯を行い、無痛手術に成功する。ウェルズが行ったように1846年に公開実験を行い、首尾よくこれを成功させたモートンは「麻酔の父」と高い評価を得ることになった。ところがここからモートンも悲劇の坂を転がり始める。この技術が「売れる」と確信した彼は、麻酔薬がエーテルであるということを隠し、何か特別な薬品であるかのように主張し特許を取ろうとしたのだ、さらに師であるウェルズと麻酔技術の発明権をめぐって激しく争った。この争いの果てウェルズは自分の主張を示すため自殺をしたとも言われている。しかし裁判に負け権利も金も得ることに失敗したモートンは、その後麻酔の吸引しすぎが原因で精神異常を来たし、師同様に悲劇の最後を迎えることになる。

 ところで、記録によると世界初の近代麻酔手術は日本で行われたようだ。それは華岡清州(日、1760~1835)による乳がん摘出手術(1804年)である。漢方とオランダ外科手術を学んだ華岡清州は中国三国志時代の名医「華陀」(中国、AD2世紀頃)にあこがれ、彼の行っていたとされる麻酔術、(大麻や朝鮮朝顔などから作られた薬剤を酒と一緒に飲ませる手法)を自分なりにアレンジし、朝鮮朝顔、トリカブト、川弓(せんきゅう)、当帰(とうき)、白芍(びゃくし)等10種類の薬草を配合した「通仙散」を開発。これを犬や猫で動物実験を行い、さらに自分の母や妻(後失明)、そして自分自身の人体実験を繰り返し完成させた。そしてこの通仙散を用いた麻酔手術は、乳がん153例の他、舌がん、膀胱結石、脱疽などにも及んだ。この麻酔術は門外不出のため公開されなかったが、杉田玄白(すぎた げんぱく、1733~1817年)の一門に伝えられ、江戸でも乳がん手術が行われていたという記録がある。どうやら、麻酔に関しては東洋医術のほうが進んでいたようである。

宿題39: 麻酔の手法が発明されると、これは外科手術に革命を起こし様々な麻酔薬が開発されていくことになった。しかし、この手法に反対する人がいた。どういう理由で反対したのであろうか?

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