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* 熱・化学13:ブラウン運動の発見(1827年:ブラウン)

Q37:水にうかべた花粉の微粒子は不規則な動きをすると学校で習ったS君は、早速、家に帰り水を入れた皿に菜の花の花粉を浮かべてルーペで観察してみた。しかし花粉は水の動きに沿って漂うだけで、期待していた不規則な動きを見ることはできなかった。S君はなぜ観察に失敗したのだろう?

 実験に「失敗」はつきものか?いやそうではない、私は実験に「失敗」など無いと考えている。そもそも「失敗」とは何か?「ある期待をして行った活動(実験)が、意図どうりの結果を示さなかった事」であろう。しかし自然科学の実験とは、本来真実を見出すことが真の目的であって、特別な先入観で結果を期待しすぎてはいけない。S君の行った実験結果も「正しい」結果であり、これをごまかし「教科書通り、ランダムに動いた」とレポートするのは、事実の歪曲である。慎重に準備された実験において出てくる結果はすべて正しい真実であり、そこに失敗などはない。

 さて、ロバート・ブラウン(Robert Brown、英、1773~1858年)はなぜ、花粉を水に浮かべ顕微鏡で覗いたのだろうか?決して、「ブラウン運動」を発見しようなどと意図してはいなかった。彼は植物学者であり、植物の受精のメカニズムに興味を持ちこれを花粉の性質により調べようとしていたのである。53歳の頃、大英博物館に勤め始めた彼は愛用の高倍率(×300倍程度)顕微鏡を覗いていて、水に浮かべた花粉の細胞から出た微小粒子が、休み無く不規則な運動を続けることを偶然見つけた。実はこの現象は当時何人かの科学者によって既に「発見」されていたのだが、そんなことを知らないブラウンは、これこそ花粉の受精プロセスの一つではないかと考え、あらゆる花粉や他の材料で観察を行う。念のため生命を持たない、ガラスや岩石の粉をも水に浮かべ同じ観測を行った。するとなんと、意図に反し無生物である粉までもが不規則な動きを続けているではないか。この「失敗」(=真実)こそが彼の「発見」であった。そしてさらに様々な材料を用いてこの現象を確認し続け、1828年に一連の結果を論文として発表したのである。しかし残念ながら植物学者には全く興味を持たれず、ブラウンは生涯を終える。そしてこの論文はブラウンの死後、分野違いの物理学者から注目を集めることになる。

 この現象は熱によって乱雑な運動をしている水分子(H2O)が、浮遊微粒子に絶えず衝突する事でそれが不規則に動かされて見える現象であった。ここで浮遊粒子が大きいと水分子のアタックが平均化されてしまうため、現象が現れなくなってしまう(S君の「失敗」)。そして発見者のブラウンは理解していなかったが、この花粉や微粒子の不規則な動きは「分子」というものの存在を初めて示した(目に見せた)画期的な実験結果であった。しかしこの理解に至るまで、ブラウンの発見から70年以上の長い時間がかかったのである。実はブラウンの時代に「原子」や「分子」という考えは既に生まれていた(第30話:ドルトンの項参照)のだが、まだ十分に時代がそれを認識していたとは考えにくい。ただ興味深いのは、時代という神様は丁度うまいタイミングで、原子や分子という概念(モデル)提案に対する実証のヒントを人類に与える、ということだ。このすばらしい一致はどうして起こるのだろう。単に技術(ここでは顕微鏡という観察技術)が時代に追いついたという偶然に過ぎないのだろうか?それにしては歴史のシナリオは実に巧みである。

 ブラウンは1773年スコットランドに生まれた。父親は英国国教会の牧師だった。医学を修め、軍医となった彼はアイルランドで自由な時間を生かし、植物採集に興じる。そして、当時ロンドン王立協会の会長だった植物学者バンクス(Sir Joseph Banks、英、1743~1820年)と出会う幸運が彼のその後の人生を決定したのである。彼の勧め(かつ費用も負担してもらえた)で1801年~1805年にかけ、オーストラリアへ植物採集探検に出かけることになる。ブラウンはこの成果として4000種にも至るオーストラリア植物分類の論文を書いた。これが基になり植物分類にのめりこみ、リンネ(Carl von Linné、スウェーデン、1707~1778年)とは異なる手法の分類法を用いたより自然な植物分類に貢献している。オーストラリア探検の後、バンクスの持つ図書館と博物館(後の大英博物館)の館長を勤めながら植物学の研究に没頭、ここでブラウン運動を発見(1827)する。この後も植物(ラン)の受精の研究を続けていたが、その際に植物の細胞の中に「核」と呼ぶ(1831年ブラウンの命名)中心的な物質が存在することを発見している。これはその後、核内染色体の遺伝メカニズム(第100話参)につながる重要な発見であった。ブラウンはこのように博物館館長として亡くなるまで(1858年、85歳)研究を続けるという幸福な人生を歩む。ただ、ブラウン運動の重要な意味は彼自身も理解してはいなかった。

宿題37: アインシュタインは発見から78年後の1905年にブラウン運動を理論付けすることに初めて成功したのだが、規則性の無いランダムな運動に対し「何」を方程式で表したのだろうか?

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