teruji-kun TENSAI-UFO...天才UFO vr2.0

HOME | 道具・力学 | 熱・化学 | 電気・磁気 | 量子・相対論 | 電子・IT・新技術

* 熱・化学3:熱と温度の違い、比熱の概念(1762年:ブラック)

Q22: 熱と温度の違いは何か?

 熱とは、熱い物質から冷たい物質に接触などにより移動するエネルギーのことで、cal(カロリー)やJ(ジュール)という単位を持つ「量」である。一方、温度とは、もともと人間の感じる暑さ寒さや、熱さ冷たさといった感覚的な尺度から発生した「指標」であり、単位は℃(セッシ)やK(ケルビン)が使われる。がしかし、両者は混同して使われることが多い。例えば風邪をひいたときなど「体温を測りなさい」とは言わず「熱はあるの?」と誤って使われる。本来「量」である熱は、加減計算が可能であり、20cal+50cal=70cal、といった算術が成り立つ。しかし「指標」である温度の場合、加減算は成立せず、50℃の湯に50℃の湯を加えても、体積や熱量は増えるが、指標である温度は50℃のままである(50℃+50℃=100℃とはならない)。

 しかし、この両者の差を人類が理解するのには意外と時間がかかった。熱にしても温度にしても、もともとは人間が作った概念なのに、なぜその差に気付きにくいのだろう?これらの概念がどのように生まれ、最終的にどう決着したのか?天才たちのドタバタ劇を追いかけてみよう。人間が暑さや寒さ、ものの熱さと冷たさを肌で感じることができるのは神様からの温感器官のプレゼントである。つまり人間は(おそらく動物や植物も)、科学的に温度を定義する前から、ものや環境の熱さつまり温度をすでに「感じて」いたのである。もし温度を感じられないと、体温を適温に維持できなかったり、焼けどをして死んでしまう危険性がある。生物の生存にとって温度センサーを体内に持つことは生存上非常に重要であり、生まれながら体内に宿っていた温度センサーの働きで、我々人間はごく自然に「温度」という指標を持つことができたと考えられる。

 では「熱」という概念はどのように生まれたのだろう?おそらく始まりは「火」ではないか?火に近づくと熱く感じる、なにやら火から 暖かさの要因が飛んでくるようだ。これは太陽も同じで、同様な「何か」が飛んできている。それは光なのか、しかし摩擦によっても熱さは生じる、どうやら光とは別物のようだ。このような「熱さの素」のことを熱と呼び始めたのではないだろうか?温度は寒さまで含めた感覚的な尺度だが、熱というのは寒さの素ではない。寒さや冷たさは熱が無くなった状態と見なしていた。

 熱に対する科学的な考察は、17世紀あたりから始まっている。デカルト(René Descartes、仏、1596~1650年)は手をこすると暖かくなるのは手を構成する粒子が運動するためと考えた。まさに現在の熱の分子運動論に近い鋭い推察である。しかしその後、熱は「カロリック」(熱素)と呼ばれる間違った元素モデルに改悪されてしまう。しかも意外なことに、提唱者は「フロジストン説」(燃素説)を否定し正しい「酸素分子」を発見したラボアジェ(Antoine-Laurent de Lavoisier、仏、1743~1794年)であった。そしてそのラボアジェをカロリック説に至らしめる要因になったのが、熱と温度の概念を初めて科学的に明確に分析し区別した、彼の師ブラック(Joseph Black、英、 1728~1799年) だったのである。それはちょうど蒸気機関が現れ、熱に対する技術的興味が膨らんでいた時代であった。

 ブラックは、酒屋の息子としてフランスボルドーに生まれた後、父親の帰国と共にスコットランドに戻り今度はウィスキーに親しむ。ウィスキー作りは蒸留という過程が大切だが、蒸留中は加熱するにもかかわらず原酒の温度は変化しないことが当時すでに知られていた。このようなことから熱現象に興味を持ったブラックは、氷を加熱することを試み、氷が溶ける過程でも温度が0℃のまま変化しないことを見つけ、熱と温度の違いを確信する。熱はなんらかの物質であり、氷の溶ける過程で水に「熱物質」が隠れて潜むのだろうと考え「潜熱」と名付ける。又、同じ重さで異なる温度の水と水銀を混ぜても丁度平均の温度にならないことを不思議に思い、この実験と考察から、異なる物質は熱容量が異なると推論、1gあたりの熱容量「比熱」の概念を発見した。「熱の物質説」はブラックの考察でその科学的価値を高め、弟子ラボアジェによりカロリックという元素にまで発展する。又、グラスゴー大学で知り合ったワットに潜熱の理論を教え、彼を蒸気機関の改善に導びいたのである(熱・化学の第2話)。

 その後カロリック説は高く評価され、多くの成果を生み出す、その中でも白眉といえるのはカルノー(Nicolas Léonard Sadi Carnot、仏、1796~1832年)の「最大効率の熱機関の考察」(カルノーサイクルの発見)だろう。カルノーは、熱機関には熱を仕事に変換する限界効率があり、それはη≦(1-低温側の絶対温度/高温側の絶対温度)と温度の差(比)のみで決まり、熱機関の作業物質にはよらないことを発見した(1824年、28才)。誤ったモデルが若き天才を動かし正しい発見に導いた見事な例である。なお、カルノーはこの発見を自費出版するが評価されず、36才でコレラにかかり病死する。

 その後、カロリック説はラムフォード(Sir Benjamin Thompson, Count Rumford、米⇒英、1753~1814年)の疑問によってその真偽が疑い始められる。ラムフォードは、熱が物質であり元素だとすると、摩擦によっていくらでも熱が発生するのはおかしい、と疑問を抱く。確かに物質が無限に発生するなどということは考えにくい。そして彼は熱とは機械的な物質粒子の運動で生じるのではないかと、デカルト説に戻って行くのである(1798年)。そして約50年後マイヤー(Julius Robert von Mayer、独、 1814~1878年)によるエネルギー保存則の発見に至って、カロリック説は終焉を迎える。ところで、カロリック説を否定したラムフォードはなんとラボアジェの死後、彼の奥さんまでも奪い結婚してしまう(その後、すぐ離婚)。熱の研究とはなんと熱情的なことだろう!(熱・化学の第7話参照)

宿題22: 「熱っぽいね、熱を計ってごらん」を英訳しなさい

*NEXT

次は何を読もうか↓(下の目次か右側のリンクより選んで下さい)

内部リンク

外部リンク