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* 道具・力学16:真空ポンプ(1643年:トリチェリ、1654年:ゲーリケ)

Q16: 17世紀初頭、ポンプではなぜ10m以上水をくみ上げる事ができないのか謎であった。ガリレオの弟子トリチェリは水の代わりに最も重い液体を使えば室内で実験ができると考え、それまで存在しないと言われていた「あるもの」を作りあげることでこの謎を解いた。彼が用いた液体と作り上げた「あるもの」とは何か?

 科学史上有名な「トリチェリの真空実験」である。トリチェリ(Evangelista Torricelli、伊、1608~1647年)は水の代わりに最も重い液体(比重約14)の水銀を使えば、もっと低い引き上げしかできないだろうと考え、友人ヴィヴィアニ(Vincenzo Viviani、伊、1622~1703年)と共同で1643年にこの実験を行った。一方の端が閉じた1mほどのガラス管に水銀を満たし水銀皿上でこれを倒立させると、約76cmの高さ(水のときの約14分の1;比重の比の逆数)で水銀面が留まり、それより上の部分は真空になることを発見した。これは大気の重さによって液体面が押され、水や水銀の重さがそれぞれの高さで釣り合うためと推論。また水銀柱の高さは日々微妙であるが変化することも発見し、気圧計の発明者ともなったのである。

 重大な事実は「真空の存在証明」であった。それまで、「真空=なにも無い空間」なるものは存在できない、とアリストテレス以来1700年近く考えられていた。アリストテレスがそう考えた根拠は次のようなものである。石を水中で落すより空気中で落すほうが早く落ちる、これは水より空気の密度が低いためだ。もし密度がゼロの真空が存在するなら、そこで石を落せば速度が無限大になるはず、しかしそんなことは有り得ない、よって真空は存在できない。この真空非存在説はその後デカルト(René Descartes、仏、1596~1650年)によってさらに強固に理論武装される。つまり「真空は有り得ない」というのが17世紀の哲学真理だったのである。これに疑いを持ち始めたのがガリレオ、そしてそれが弟子により実証されることになった。

 さてその真空だが、トリチェリの方法で作った真空を技術的に利用することは容易ではない。もっと手軽に真空を作れないか?ここに異色な趣味人ゲーリケ(Otto von Guericke、独、1602~1686年)が現れる。ゲーリケはドイツ、マグデブルグ市の市長であったが、とても科学好きでヒマさへあれば実験ばかりやっている変わり者だった。学生の頃から、空間の本質は何か?とかデカルトの真空非存在論への疑問を強く持ち、トリチェリの真空実験の話を聞いたのがきっかけで、シリンダーとピストンからなる真空ポンプを自作(発明)、真空の存在を自ら確かめる実験を行ったのである(1647年頃)。まず、ビール樽から水を抜く実験をするが空気が漏れて失敗、銅の球から空気を抜く実験では銅球がつぶれてしまい又失敗、デカルト説が正しいことを支援する結果となった。しかし、破損しない丈夫な金属球を作り空気を抜く実験に再挑戦、ついに真空を人工的に作りだすことに成功する。さらにガラス瓶を用い真空を観察できるようにして、その中ではものが燃えないこと、音が伝わらないこと、生物(小鳥)が生きられないこと等を実証していったのである。なんという執念だろう。

 市長ゲーリケはその立場を利用し、この成果を市民に公開し楽しませる智恵を持っていた。1654年レーゲンスブルク市で「マグデブルグの半球」として知られる有名な実験がドイツ皇帝を招いて行なわれた。40cm径ほどの金属製半球に油を浸した動物の皮をパッキンとして球形に合わせて内部の空気を自作の手動ポンプで抜いた、そして8頭づつの馬で両側から思い切り引っ張ったのである。両半球はなかなか離れず、やがて大音響をたてて離れた。このとき両方の馬の出した力は1トンほどだったと言われている。イベントは大成功、噂はたちどころに伝わり、ベルリンでも公開実験が行なわれた。

 ゲーリケの人工真空の話は、派手なパフォーマンスで広がり、思想的な影響をその後の社会に及ぼすことになった。まずトリチェリにより疑問視され始めたアリストテレスやデカルトの真空非存在説は、ゲーリケにより完全に打ち砕かれた。そして大気圧の存在とその巨大さを人々に認識させたのである。又、真空を簡単に作ることのできる真空ポンプは、その後ボイル(Sir Robert Boyle、英、1627~1691年)とその弟子フック(Robert Hooke、英、1635~1703年)により改良され、有名な「圧力と体積の積は気体によらず一定(PV=一定)」というボイルの法則の発見につながる。科学の進化の一方で、ボイルのもう一人の助手だったドニパパン(Denis Papin、仏、1647~1712年頃)は1682年水の沸点(湯の沸く温度:約100℃)が気圧で異なる事を発見し、これを基に圧力鍋を発明、調理に応用した。これに対し、チャールズ2世は「科学の味」は素晴らしいと絶賛した。その後、真空の技術は様々な応用分野を開拓して行くことになる。

宿題16:ところで「真空」とは「なにも入って無い空間」であろうか?

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